・・・一人の私服警官が粉煙草販売者を引致してゆく途中、小路から飛び出して来た数名がバラバラツと取りかこみ、各自手にした樫棒で滅茶苦茶に打ち素手の警官はたちまちぶつ倒れて水溜りに顔を突つ込んだ。死んだやうになつてゐた数秒、しかし再び意識をとり戻した・・・ 織田作之助 「大阪の憂鬱」
・・・とむしろ開き直り、二三度押問答のあげく、結局お辰はいい負けて、素手では帰せぬ羽目になり、五十銭か一円だけ身を切られる想いで渡さねばならなかった。それでも、一度だけだが、板の間のことをその場で指摘されると、何ともいい訳けのない困り方でいきなり・・・ 織田作之助 「夫婦善哉」
・・・ ――もはや、もう、私ども老人の出る幕ではないと観念いたしまして、ながらく蟄居してはなはだ不自由、不面目の生活をしてまいりましたが、こんどは、いかなる武器をも持ってはならん、素手で殴ってもいかん、もっぱら優美に礼儀正しくこの世を・・・ 太宰治 「男女同権」
・・・武器の力で勝ったとてそれは男でない。素手の力で勝たないことには、おのれの心がすっきりしない。まずこぶしの作りかたから研究した。親指をこぶしの外へ出して置くと親指をくじかれるおそれがある。次郎兵衛はいろいろと研究したあげく、こぶしの中に親指を・・・ 太宰治 「ロマネスク」
・・・ お金奴、あらいざらいの勘定をさせる魂胆なんやから、素手でも行かれんわな。 お節は、いざ栄蔵が行くとなると、ぜひ持たしてやらなければならない金高を胸算用した。 汽車賃、小使い、お君へかかったものの勘定、あれやこれやではなかな・・・ 宮本百合子 「栄蔵の死」
・・・やっと無事帰ったと思っていたから、私の気持は苦しくて可哀相で、じっとしていられないようだし、素手でまた南へやるのはとてもしのびないから、大さわぎをして色んな人に聞き合せて南から決死隊で生還したという人の準備を聞くことが出来て、今日はどうぞこ・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・ドライサアはアメリカの作家として、あらゆるアメリカの悲劇を克服しようとしてたたかうようなたちの青年は描かないで、クライドのように富は富として常識に魅せられ、享楽は享楽として魅せられて行って、しかも、素手でそれを捕えてゆくほど厚顔でもあり得な・・・ 宮本百合子 「文学の大陸的性格について」
出典:青空文庫