ほそかわかつもと【細川勝元】
[1430〜1473]室町中期の武将。法名、竜安寺宗宝。再三、管領 (かんれい) となり、応仁の乱では将軍足利義政を助けて東軍を率いて戦ったが、陣中に没した。禅宗を信仰し、京都に竜安寺を創建。
ほそかわガラシャ【細川ガラシャ】
[1563〜1600]細川忠興の妻。明智光秀の娘。名は玉。ガラシャは洗礼名。高山右近の影響でキリスト教に改宗。関ヶ原の戦いに際し、石田三成に反抗して自殺。
ほそかわしげかた【細川重賢】
[1721〜1785]江戸中期の熊本藩主。倹約を奨励し、また、藩校時習館の開設や殖産事業に尽力して藩政の改革に努めた。
ほそかわすみもと【細川澄元】
[1489〜1520]室町後期の武将。政元の養子。家督相続をめぐり前将軍足利義稙 (よしたね) を奉じる高国と争って近江 (おうみ) ・阿波へ逃れ、病没。
ほそかわたかくに【細川高国】
[1484〜1531]室町後期の武将。政元の養子。家督相続をめぐり澄元と対立。前将軍足利義稙 (よしたね) を将軍職に復帰させ、管領となって幕政の実権を握った。のち、澄元の子晴元と三好元長に追われ、自刃。
ほそかわただおき【細川忠興】
[1563〜1646]安土桃山・江戸初期の武将。幽斎の長男。織田信長・豊臣秀吉に仕えたが、関ヶ原の戦いでは徳川方につき、軍功によって豊前 (ぶぜん) 小倉城主。のち、剃髪して号を三斎、法名を宗立と称した。和歌をよくし、茶の湯は千利休門下七哲の一人。
ほそかわはるもと【細川晴元】
[1514〜1563]室町後期の武将。澄元の子。管領 (かんれい) となったが、のち、家臣の三好長慶に追われ、剃髪して隠居。以後、管領家細川氏の権威は失墜した。
ほそかわまさもと【細川政元】
[1466〜1507]室町後期の武将。勝元の子。足利義澄を擁して将軍とし、管領となって幕政の実権を握った。養子とした澄之・澄元・高国の家督争いにまき込まれ、澄之派に暗殺された。
ほそかわもりひろ【細川護煕】
[1938〜 ]政治家。東京の生まれ。旧熊本藩主細川家当主。新聞記者を経て昭和46年(1971)自民党から参議院議員に。同58年、熊本県知事。平成4年(1992)日本新党を結成し参院選に当選。翌年、衆院選に鞍替え出馬し当選。同党と新生党・社会党・公明党・民社党など8党派の連立政権首相となり自民党を下野させた。同6年、金銭スキャンダルに追われ首相を辞任。→羽田孜
ほそかわゆうさい【細川幽斎】
[1534〜1610]安土桃山時代の武将・歌人。名は藤孝。足利義晴・義輝・義昭に仕え、のち織田信長・豊臣秀吉・徳川家康に重用された。歌人としても有名で、三条西実枝から古今伝授を受けた。著「衆妙集」「詠歌大概抄」「百人一首抄」など。