・・・草鞋の足痕にたまった泥水にすら寒そうな漣が立っている。日が暮れると間もなく大概の店は戸を閉めてしまった。闇い一筋町がひっそりとしてしまった。旅人宿だけに亀屋の店の障子には燈火が明く射していたが、今宵は客もあまりないと見えて内もひっそりとして・・・ 国木田独歩 「忘れえぬ人々」
・・・客はすることもないから、しゃんとして、ただぽかんと海面を見ていると、もう海の小波のちらつきも段と見えなくなって、雨ずった空が初は少し赤味があったが、ぼうっと薄墨になってまいりました。そういう時は空と水が一緒にはならないけれども、空の明るさが・・・ 幸田露伴 「幻談」
・・・これに対して下坐に身を伏せて、如何にもかしこまり切っている女は、召使筋の身分の故からというばかりでは無く、恐れと悲しみとにわなわなと顫えているのは、今下げた頭の元結の端の真中に小波を打っているのにも明らかであり、そして訴願の筋の差逼った情に・・・ 幸田露伴 「雪たたき」
・・・水面に小波は立った。次いでまた水の綾が乱れた。しかし終に魚は狂い疲れた。その白い平を見せる段になってとうとうこっちへ引寄せられた。その時予の後にあってたまを何時か手にしていた少年は機敏に突とその魚を撈った。 魚は言うほどもないフクコであ・・・ 幸田露伴 「蘆声」
・・・曇天の下の池の面は白く光り、小波の皺をくすぐったげに畳んでいた。右足を左足のうえに軽くのせてから、われは呟く。 ――われは盗賊。 まえの小径を大学生たちが一列に並んで通る。ひきもきらず、ぞろぞろと流れるように通るのである。いずれは、・・・ 太宰治 「逆行」
・・・トリツク怒濤、実ハ楽シキ小波、スベテ、コレ、ワガ命、シバラクモ生キ伸ビテミタイ下心ノ所為、東京ノオリンピック見テカラ死ニタイ、読者ソウカト軽クウナズキ、深キトガメダテ、シテハナラヌゾ。以上。 山上の私語。「おもしろく読みました。・・・ 太宰治 「創生記」
・・・朝の黄金の光が颯っと射し込み、庭園の桃花は、繚乱たり、鶯の百囀が耳朶をくすぐり、かなたには漢水の小波が朝日を受けて躍っている。「ああ、いい景色だ。くにの女房にも、いちど見せたいなあ。」魚容は思わずそう言ってしまって、愕然とした。乃公は未・・・ 太宰治 「竹青」
・・・ 編中に插入された水面の漣波、風にそよぐ蘆荻のモンタージュがあるが、この插入にも一脈の俳諧がある。この無意味なような插入が最後の「自由」のシーンと照応して生きてくるように思われる。それのみならず自分はこの映画いったいの仕組みの上からもい・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・ここで若い靴磨きが変な街路詩人の詩を口ずさみ三等席の頭上あたりの宵の明星を指さして夕刊娘の淡い恋心にささやかな漣を立てる。バーからひびくレコード音楽は遠いパリの夜の巷を流れる西洋新内らしい。すべてが一九三三年向きである。 この芝居を見て・・・ 寺田寅彦 「初冬の日記から」
・・・青ずんだ空にはまっ白な漣雲が流れて、大理石の大伽藍はしんとしていた。そこらにある電燈などのないほうがよさそうにも思われた。ドーム前の露店で絵はがきやアルバムを買った。売り子は美しい若い女で軽快な仏語をさえずっていた。 十・・・ 寺田寅彦 「旅日記から(明治四十二年)」
出典:青空文庫