・・・けれど容色はどこやらけわしくなっていたようであった。紺絣の単衣を着ていた。僕もなんだかなつかしくて、彼の痩せた肩にもたれかかるようにして部屋へはいったのである。部屋のまんなかにちゃぶだいが具えられ、卓のうえには、一ダアスほどのビイル瓶とコッ・・・ 太宰治 「彼は昔の彼ならず」
・・・ 薄暗い八畳間の片隅に、紺絣を着た丸坊主の少年がひとりきちんと膝を折って坐っていた。顔を見ると、やはり、青本女之助に違いなかった。熊本という逞しい名前の感じは全然、無かったのである。白くまんまるい顔で、ロイド眼鏡の奥の眼は小さくしょぼし・・・ 太宰治 「乞食学生」
・・・私は紺絣の着物、それに袴をつけ、貼柾の安下駄をはいて船尾の甲板に立っていた。マントも着ていない。帽子も、かぶっていない。船は走っている。信濃川を下っているのだ。するする滑り、泳いでいる。川の岸に並び立っている倉庫は、つぎつぎに私を見送り、や・・・ 太宰治 「佐渡」
・・・ およしなさい。紺絣の着物に仙台平は、へんです。」家内は、反対した。私には、よそゆきの単衣としては、紺絣のもの一枚しかないのである。夏羽織が一枚あった筈であるが、いつの間にやら無くなった。「へんな事は無い。出しなさい。」仙台平なんかじゃ・・・ 太宰治 「善蔵を思う」
・・・その日、私は馬場との約束どおり、午後の四時頃、上野公園の菊ちゃんの甘酒屋を訪れたのであるが、馬場は紺飛白の単衣に小倉の袴という維新風俗で赤毛氈の縁台に腰かけて私を待っていた。馬場の足もとに、真赤な麻の葉模様の帯をしめ白い花の簪をつけた菊ちゃ・・・ 太宰治 「ダス・ゲマイネ」
・・・くにゃりと上体をねじ曲げて、歌舞伎のうたた寝の形の如く右の掌を軽く頬にあて、口を小さくすぼめて、眼は上目使いに遠いところを眺めているという馬鹿さ加減だ。紺絣に角帯というのもまた珍妙な風俗ですね。これあいかん。襦袢の襟を、あくまでも固くきっち・・・ 太宰治 「小さいアルバム」
・・・一太は、「なーんだ」と云うとクスクス、しまいにはあははと笑った。一太は紺絣の下へ一枚襦袢を着ているぎりであったから、そうやって小さい火を抱えているのは暖くて楽しい気分だ。今に出て来る物って何だろう……。 一太は母親が、突かかるよ・・・ 宮本百合子 「一太と母」
・・・やがて背のかがんだ年よりの男が別な小僧をつれて出て来、一方の大きい浅草観音のと同じ扉をギーとしめ、こっちに来て賽銭箱をあけ初めた。紺絣に白木綿の兵児帯をぐるぐる巻きにした小僧、笊をもってこぼれる銭をあつめる。畳の上へ賽銭箱をバタン、こっちへ・・・ 宮本百合子 「金色の秋の暮」
・・・嘗て柳行李のなかから、紺絣の着物や、目醒し時計と一緒くたに出て来たガラスのペン皿は、わったりしたくないと思ってつかっている。 琉球のある女のひとがくれた一対の小さい岱赭色の土製の唐獅子が、紺色の硯屏の前においてある。この唐獅子は、その女・・・ 宮本百合子 「机の上のもの」
・・・ あの歩きつきで、細かい紺絣の袷の着物と羽織とをきて、帽子のないいが栗頭に、前年の冬はいていたひろ子の手縫いの草色足袋をはき、外食券食堂で買った飯を新聞紙にぶちまけたのをたべたべ、重吉は一人で網走から東京まで帰って来た。同じ東北本線を、・・・ 宮本百合子 「風知草」
出典:青空文庫