・・・「商売のできるくらいの金は、きっと持たして返すという話やったけれど、あっちの人はすす鋭いから結局旅のものが取られることになってしまう。私もあすこへ行ってから、これでもよほど人が悪くなった」お絹はそんなことを言っていた。 でもお芳の方・・・ 徳田秋声 「挿話」
・・・ わたしと唖々子とは、最初拾円と大きく切出して置けば結局半分より安くなることはあるまいと思っていたので、暫く顔を見合せたまま何とも言う事ができなかった。殊に唖々子はこの夜この事を敢てするに至るまでの良心の苦痛と、途中人目を憚りつつ背負っ・・・ 永井荷風 「梅雨晴」
・・・なおひろがって作家自身の好悪となり、結局道徳的の問題となる。それ故当然作物からのみ得られべき感情が作家に及ぼして、しまいには justice という事がなくなって、贔負というものが出来る。芸人にはこの贔負が特に甚だしい。相撲なんかそれです。・・・ 夏目漱石 「無題」
・・・しかもただ一歩で、すぐ捉へることができるやうに、虚偽の影法師で欺きながら、結局あの恐ろしい狂気が棲む超人の森の中へ、読者を魔術しながら導いて行く。 ニイチェを理解することは、何よりも先づ、彼の文学を「感情する」ことである。すべての詩の理・・・ 萩原朔太郎 「ニイチェに就いての雑感」
・・・ 冷遇て冷遇て冷遇抜いている客がすぐ前の楼へ登ッても、他の花魁に見立て替えをされても、冷遇ていれば結局喜ぶべきであるのに、外聞の意地ばかりでなく、真心修羅を焚すのは遊女の常情である。吉里も善吉を冷遇てはいた。しかし、憎むべきところのない・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・政の字は政府に限らざることあきらかに知るべし。結局政府に限りて人民の私に行うべからざる政は、裁判の政なり、兵馬の政なり、和戦の政なり、租税の政なり、この他わずかに数カ条にすぎず。 されば人民たる者が一国にいて公に行うべき事の箇条は、政府・・・ 福沢諭吉 「学者安心論」
・・・それからは洪積層が旧天王の安山集塊岩の丘つづきのにも被さっているかがいちばんの疑問だったけれどもぼくたちは集塊岩のいくつもの露頭を丘の頂部近くで見附けた。結局洪積紀は地形図の百四十米の線以下という大体の見当も附けてあとは先生が云ったように木・・・ 宮沢賢治 「或る農学生の日誌」
・・・協力は愛のひとつの作業だから、結局のところ相手が自分に協力してくれるその心にだけ立って自分の協力も発揮させられてゆくという受身な関係では、決して千変万化の人間らしい協力の花を咲かせることはできない。愛されるから愛すのではなくて、愛すから愛す・・・ 宮本百合子 「明日をつくる力」
・・・ しかし結局、身辺小説といわれているものに優れた作品の多いことは事実であり、またしたがって当然でもあるが、私はたとい愚作であろうとかまわないから、出来得る限り身辺小説は書きたくないつもりである。理由といっては特に目立った何ものもない。た・・・ 横光利一 「作家の生活」
・・・しかし僕の遠望観は、ぐるぐると回っている内に、結局この問題に帰着するのである。 何人も気がつくごとく、ここに陳列せられた洋画は主として写生画である。どの流派を追い、どの筆法を利用するにしても、要するに洋画家の目ざすところは、目前に横たわ・・・ 和辻哲郎 「院展遠望」
出典:青空文庫