・・・女ならば絹を枠に張って、縫いにとりましょ」と云いながら、白地の浴衣に片足をそと崩せば、小豆皮の座布団を白き甲が滑り落ちて、なまめかしからぬほどは艶なる居ずまいとなる。「美しき多くの人の、美しき多くの夢を……」と膝抱く男が再び吟じ出すあと・・・ 夏目漱石 「一夜」
・・・ガウンの袖口には黄色い平打の紐が、ぐるりと縫い廻してあった。これは装飾のためとも見られるし、または袖口を括る用意とも受取れた。ただし先生には全く両様の意義を失った紐に過ぎなかった。先生が教場で興に乗じて自分の面白いと思う問題を講じ出すと、殆・・・ 夏目漱石 「博士問題とマードック先生と余」
・・・ 下女下男を多く召使うとも、婦人たる者は万事自から勤め、舅姑の為めに衣を縫い食を調え、夫に仕えて衣を畳み席を掃き、子を育て汚を洗い、常に家の内に居て猥りに外に出ず可らずと言う。婦人多忙なりと言う可し。果して一人の力に叶う事か叶わ・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・盆地で暑いせいだろう、前庭に丸太で組んだヤグラのようなすずみ台をこしらえて、西陽のさす方へコモをたらして、そこで女が縫いものをしたり、子供がひるねしたりしていた。 秋田、山形辺は、食糧危機がひどくなってから、主食買い出しの全国的基地とな・・・ 宮本百合子 「青田は果なし」
・・・植村婆さんは、若い其等の縫いてがいやがる子供物の木綿の縫いなおしだの、野良着だのを分けて貰って生計を立てて来たのであった。沢や婆のいるうちは、彼女よりもっと年よりの一人者があった訳だ。もっと貧しい、もっと人に嫌がられる者があった。その者を、・・・ 宮本百合子 「秋の反射」
・・・ 衣類または服装と婦人との社会的な関係をあるがままに肯定した上で、これまで整理保存の方法、縫い方、廃物利用、モードの選びについてなどが話題とされて来ている。けれども考えてみれば女性が縫物をすることになったのは一体人間の社会の歴史の中でい・・・ 宮本百合子 「衣服と婦人の生活」
・・・ 雨が降る――風が吹く 土のお宮は淋しかろ 寒かろう 送ってあげたや紅の地に 金糸の花を縫い取って 真綿を厚く夜の衣 それにそえては虹のよな 糸でかがった小手毬を―― 日はひねもす・・・ 宮本百合子 「悲しめる心」
・・・白い縫い模様のある襟飾りを着けて、糊で固めた緑色のフワフワした上衣で骨太い体躯を包んでいるから、ちょうど、空に漂う風船へ頭と両手両足をつけたように見える。 これらの仲間の中には繩の一端へ牝牛または犢をつけて牽いてゆくものもある。牛のすぐ・・・ 著:モーパッサン ギ・ド 訳:国木田独歩 「糸くず」
・・・りよは涙を拭いて、縫いさした脚絆をそっと側にあった風呂敷包の中にしまった。 酒井忠実は月番老中大久保加賀守忠真と三奉行とに届済の上で、二月二十六日附を以て、宇平、りよ、九郎右衛門の三人に宛てた、大目附連署の証文を渡して、敵討を許した・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
・・・さて葬いのあった翌日からは、ユリアは子供の着物を縫いはじめた。もう一月で子供が生れることになっていたからである。 ツァウォツキイは無縁墓に埋められたのである。ところがそこには葬いの日の晩までしかいなかった。警察の事に明るい人は誰も知って・・・ 著:モルナールフェレンツ 訳:森鴎外 「破落戸の昇天」
出典:青空文庫