・・・世相の急変は啻に繁華な町のみではなく、この辺鄙にあってもまた免れないのである。わたくしは最初の印象を記憶するためにこの記をつくった。時に昭和九年杪冬の十二月十五日である。 元八幡宮のことは『江戸名所図会』、『葛西志』、及び風俗画報『東京・・・ 永井荷風 「元八まん」
・・・けれどもたとい繁華な所にいたって、そう始終家を引ッ張ッてッて貰わなければならぬという人はない。しかるにそれを専門に商売にしている者があるから、東京は広いと思ったのです。馬琴の小説には耳の垢取り長官とか云う人がいますが、他の耳垢を取る事を職業・・・ 夏目漱石 「道楽と職業」
・・・特にその繁華なU町へは、小さな軽便鉄道が布設されていた。私はしばしばその鉄道で、町へ出かけて行って買物をしたり、時にはまた、女のいる店で酒を飲んだりした。だが私の実の楽しみは、軽便鉄道に乗ることの途中にあった。その玩具のような可愛い汽車は、・・・ 萩原朔太郎 「猫町」
・・・かと思うと、自分はいつか岡山へ行ッていて、思ッたよりも市中が繁華で、平田の家も門構えの立派な家で、自分のかねて思ッていたような間取りで、庭もあれば二階もあり蔵もある。家君さんは平田に似て、それで柔和で、どこか気抜けがしているようにも見え、自・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・生れては死に、死んでは生れる人間共が、太古の森も見えない程建て連ねて行く城や寺院、繁華な都市が、皆、俺のおもちゃに植えて行くと思うと、身震いがしたッけ。ミーダ 俺がこれまでに作った悪徳の環もあれが頂上だったかな。ヴィンダー ――兎に・・・ 宮本百合子 「対話」
・・・「初の尋人は春頃から東国の繁華な土地にいる。後の尋人の事は御託宣が無い」と云った。 文吉は玉造から急いで帰って、御託宣を九郎右衛門に話した。 九郎右衛門はそれを聞いて云った。「そうか。東国の繁華な土地と云えば江戸だが、いかに亀蔵が横・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
・・・それは京都の盛り場よりも繁華であったといわれているが、戦乱つづきの当時の状況を考えると、実際にそうであったかもしれない。 この北条早雲の名において、『早雲寺殿二十一条』という掟書が残っているが、これはその内容の直截簡明な点において非常に・・・ 和辻哲郎 「埋もれた日本」
出典:青空文庫