・・・何だか翡翠の簪や金の耳環が幕の間に、ちらめくような気がするが、確かにそうかどうか判然しない。現に一度なぞは玉のような顔が、ちらりとそこに見えたように思う。が、急にふり返ると、やはりただ幕ばかりが、懶そうにだらりと下っている。そんな事を繰り返・・・ 芥川竜之介 「奇遇」
・・・幸い、側を見ますと、翡翠のような色をした蓮の葉の上に、極楽の蜘蛛が一匹、美しい銀色の糸をかけて居ります。御釈迦様はその蜘蛛の糸をそっと御手に御取りになって、玉のような白蓮の間から、遥か下にある地獄の底へ、まっすぐにそれを御下しなさいました。・・・ 芥川竜之介 「蜘蛛の糸」
・・・極かいつまんだだけをお話しても、杜子春が金の杯に西洋から来た葡萄酒を汲んで、天竺生れの魔法使が刀を呑んで見せる芸に見とれていると、そのまわりには二十人の女たちが、十人は翡翠の蓮の花を、十人は瑪瑙の牡丹の花を、いずれも髪に飾りながら、笛や琴を・・・ 芥川竜之介 「杜子春」
・・・そこには薔薇の花の咲き乱れた路に、養殖真珠の指環だの翡翠まがいの帯止めだのが、数限りもなく散乱している。夜鶯の優しい声も、すでに三越の旗の上から、蜜を滴すように聞え始めた。橄欖の花のにおいの中に大理石を畳んだ宮殿では、今やミスタア・ダグラス・・・ 芥川竜之介 「葱」
・・・「ね、そのままの細い翡翠じゃあないか。琅ろうかんの珠だよ。――小松山の神さんか、竜神が、姉さんへのたまものなんだよ。」 ここにも飛交う螽の翠に。――「いや、松葉が光る、白金に相違ない。」「ええ。旦那さんのお情は、翡翠です、白・・・ 泉鏡花 「小春の狐」
・・・ この世盛りの、思い上れる、美しき女優は、樹の緑蝉の声も滴るがごとき影に、框も自然から浮いて高い処に、色も濡々と水際立つ、紫陽花の花の姿を撓わに置きつつ、翡翠、紅玉、真珠など、指環を三つ四つ嵌めた白い指をツト挙げて、鬢の後毛を掻いたつい・・・ 泉鏡花 「伯爵の釵」
・・・ところが、天女のようだとも言えば、女神の船玉様の姿だとも言いますし、いや、ぴらぴらの簪して、翡翠の耳飾を飾った支那の夫人の姿だとも言って、現に見たものがそこにある筈のものを、確と取留めたことはないのでございますが、手前が申すまでもありません・・・ 泉鏡花 「半島一奇抄」
・・・ 鉄砲で狙われた川蝉のように、日のさす小雨を、綺麗な裾で蓮の根へ飛んで遁げた。お町の後から、外套氏は苦笑いをしながら、その蓮根問屋の土間へ追い続いて、「決して威す気で言ったんじゃあない。――はじめは蛇かと思って、ぞっとしたっけ。」・・・ 泉鏡花 「古狢」
・・・ 通り雨は一通り霽ったが、土は濡れて、冷くて、翡翠の影が駒下駄を辷ってまた映る……片褄端折に、乾物屋の軒を伝って、紅端緒の草履ではないが、ついと楽屋口へ行く状に、肩細く市場へ入ったのが、やがて、片手にビイルの壜、と見ると片手に持った・・・ 泉鏡花 「古狢」
・・・ 咄嗟の間の艶麗な顔の働きは、たとえば口紅を衝と白粉に流して稲妻を描いたごとく、媚かしく且つ鋭いもので、敵あり迫らば翡翠に化して、窓から飛んで抜けそうに見えたのである。 一帆は思わず坐り直した。 処へ、女中が膳を運んだ。「お・・・ 泉鏡花 「妖術」
出典:青空文庫