・・・岸に近く、船宿の白い行灯をうつし、銀の葉うらを翻す柳をうつし、また水門にせかれては三味線の音のぬるむ昼すぎを、紅芙蓉の花になげきながら、気のよわい家鴨の羽にみだされて、人けのない廚の下を静かに光りながら流れるのも、その重々しい水の色に言うべ・・・ 芥川竜之介 「大川の水」
・・・屋上ではせんたく物を朝風に翻すおかみさんたちの群れもある。これらの画像の連続の間に、町の雑音の音楽はアクセレランドー、クレッセンドーで進行して行って、かくして一人の巨人としての「パリ」が目をさましてあくびをする。これだけの序曲が終わると同時・・・ 寺田寅彦 「音楽的映画としての「ラヴ・ミ・トゥナイト」」
・・・鋏をあげて翻すと切られた葉のかたまりはバラバラに砕けて横に飛び散った。刈ったあとには茶褐色にやけた朽ち葉と根との網の上に、まっ白にもえた茎が、針を植えたように現われた。そして強い土の香がぷんと鼻にしみるように立ちのぼった。 無数の葉の一・・・ 寺田寅彦 「芝刈り」
・・・午後二時の海辺の部屋の明るさ――外国雑誌の大きいページを翻す音と、弾機のジジジジほぐれる音が折々するだけであった。 陽子の足許の畳の上へ胡坐を掻いて、小学五年生の悌が目醒し時計の壊れを先刻から弄っていた。もう外側などとっくに無くなり、弾・・・ 宮本百合子 「明るい海浜」
・・・ 波ともいわれない水の襞が、あちらの岸からこちらの岸へと寄せて来る毎に、まだ生え換らない葦が控え目がちにサヤサヤ……サヤサヤ……と戦ぎ、フト飛び立った鶺鴒が小波の影を追うように、スーイスーイと身を翻す。 ところどころ崩れ落ちて、水に・・・ 宮本百合子 「禰宜様宮田」
・・・予は人の葬を送って墓穴に臨んだ時、遺族の少年男女の優しい手が、浄い赭土をぼろぼろと穴の中に翻すのを見て、地下の客がいかにも軟な暖な感を作すであろうと思ったことがある。鴎外の墓穴には沙礫乱下したのを見る外、ほとんど軟い土を投じたのを見なかった・・・ 森鴎外 「鴎外漁史とは誰ぞ」
・・・直ぐにきいきいと轆轤の軋る音、ざっざっと水を翻す音がする。 花房は暫く敷居の前に立って、内の様子を見ていた。病人は十二三の男の子である。熱帯地方の子供かと思うように、ひどく日に焼けた膚の色が、白地の浴衣で引っ立って見える。筋肉の緊まった・・・ 森鴎外 「カズイスチカ」
・・・ 間髪を入れぬ栖方の説明は、梶の質問の壺には落ち込んでは来なかったが、いきなり、廻転している眼前の扇風機をひっ掴んで、投げつけたようなこの栖方の早業には、梶も身を翻す術がなかった。「その手で君は発明をするんだな。」「おれのう、街・・・ 横光利一 「微笑」
・・・社会主義が奮然として赤旗を翻す時、帝国主義は冷然として進水式をやっている。電車のただ乗りを発明する人と半農主義者とは同じ米を食っている。身のとろけるような艶な境地にすべての肉の欲を充たす人がうらやまれている時、道学先生はいやな眼つきで人を睨・・・ 和辻哲郎 「霊的本能主義」
出典:青空文庫