・・・そして、彼等はただ老境に憧れ、年輪的な人間完成、いや、渋くさびた老枯を目標に生活し、そしてその生活の総勘定をありのままに書くことを文学だと思っているのである。しかも、この総勘定はそのまま封鎖の中に入れられ、もはや新しい生活の可能性に向って使・・・ 織田作之助 「可能性の文学」
・・・しかしこれから若く成って行くのか、それとも老境に向っているのか、その差別のつかないような人で、気象の壮んなことは壮年に劣らなかった。頼りになる子も無く、財産を分けて遣る楽みも無く、こんな風にして死んで了うのか、そんなことを心細く考え易い年頃・・・ 島崎藤村 「刺繍」
・・・彼等二人は両親が亡くなって自分等も老境に入るまでしみじみと噺をした事がない。そうかといって太十はなかなか義理が堅いので何事かあると屹度兄の家へ駈けつける。然し彼は何事に就いても少しの意見もなければ自ら差し出てどうということもない。気に入らぬ・・・ 長塚節 「太十と其犬」
・・・が完結した時に、老境に在る芸術家にとって真に感想深かるべき時に於てではなく。――何か、云うに云われぬ作家藤村の人間的面、裂け目がここにあることを感じた。私は「父上様」という文章の中に、偶然藤村氏の息子として生れ事毎に父との連関で観られなけれ・・・ 宮本百合子 「鴎外・漱石・藤村など」
・・・作者はその作者なりの気魄をこめてそういう手のこんだ老境を描いているのである。 そうやって描かれた作品の世界が、これまでの丹羽氏の作品がよきにつけ悪しきにつけ持っていた生の肌合いを失って、室生犀星氏の或る種の作品を髣髴とさせることにも、こ・・・ 宮本百合子 「作品の主人公と心理の翳」
・・・流達聰明な先生の完成された老境というようなものと、私の女としての四苦八苦のばたばた暮しとは、我ながらいかにもかけちがった感じだった。 その親にたのまれて一二回作品を見てやったというだけの若年の娘にも、先生はお目にかかるかぎり懇切丁寧で、・・・ 宮本百合子 「時代と人々」
・・・花の咲き乱れた樹より、冬枯れの梢の枝の美しさを愛し、そこに秘められている若さを鋭く感じる老境の敏感さは、私共にやはり同感されるものである。しかし、自然を教訓的に語るということには、やはり芸術家を戒心せしめる要素がある。 若い日のゲーテは・・・ 宮本百合子 「藤村の文学にうつる自然」
出典:青空文庫