・・・古今の英雄の詩、美人の歌、聖賢の経典、碩儒の大著、人間の貴い脳漿を迸ばらした十万巻の書冊が一片業火に亡びて焦土となったを知らず顔に、渠等はバッカスの祭りの祝酒に酔うが如くに笑い興じていた。 重役の二三人は新聞記者に包囲されていた。自分に・・・ 内田魯庵 「灰燼十万巻」
・・・古聖賢に恥じない徳人だ、」とそれまで沼南に対して抱いた誤解を一掃して、世間尋常政治家には容易に匹を求めがたい沼南の人格を深く感嘆した。 それにしてもYを心から悔悛めさせて、切めては世間並の真人間にしなければ沼南の高誼に対して済まぬから、・・・ 内田魯庵 「三十年前の島田沼南」
・・・大衆に失望して山に帰る聖賢の清く、淋しき諦観が彼にもあったのだ。絶叫し、論争し、折伏する闘いの人日蓮をみて、彼を奥ゆかしき、寂しさと諦めとを知らぬ粗剛の性格と思うならあやまりである。 鎌倉幕府の要路者は日蓮への畏怖と、敬愛の情とをようや・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・棚曝しになった聖賢の伝記、読み捨てられた物語、獄中の日誌、世に忘れられた詩歌もあれば、酒と女と食物との手引草もある。今日までの代の変遷を見せる一種の展覧会、とでも言ったような具合に、あるいは人間の無益な努力、徒に流した涙、滅びて行く名――そ・・・ 島崎藤村 「並木」
・・・乃公の如きは幼少の頃より、もっぱら其の独りを慎んで古聖賢の道を究め、学んで而して時に之を習っても、遠方から福音の訪れ来る気配はさらに無く、毎日毎日、忍び難い侮辱ばかり受けて、大勇猛心を起して郷試に応じても無慙の失敗をするし、この世には鉄面皮・・・ 太宰治 「竹青」
・・・昔の宗教家や聖賢の宣伝にはかなり平和的なのもあったように思われる。しかし今日の「宣伝」という言葉には、まさにそれとは反対な余味があり残味がある。最も平和的なのでも楽隊入りの行列や、旗を立てた自動車や往来人の鼻の先にさしつけられる印刷物や、そ・・・ 寺田寅彦 「神田を散歩して」
・・・ この術は決して新しいものではなくて、古い古い昔から、時には偉大なる王者や聖賢により、時にはさらにより多く奸臣の扇動者によって利用されて来たものである。前者の場合には世道人心を善導し、後者の場合には惨禍と擾乱を巻き起こした例がはなはだ多・・・ 寺田寅彦 「錯覚数題」
・・・もし聖賢の教えがわれわれの衣服の表になるものであれば、漫画の作品はその裏地の一片にはなる。前者が健胃剤ならば後者は少なくも下剤ぐらいにはならない事はない。 漫画と称すべきものの中でいわゆる時事漫画と称するものがある。新聞雑誌に出るのは主・・・ 寺田寅彦 「漫画と科学」
上 日清戦争が始まった。「支那も昔は聖賢の教ありつる国」で、孔孟の生れた中華であったが、今は暴逆無道の野蛮国であるから、よろしく膺懲すべしという歌が流行った。月琴の師匠の家へ石が投げられた、明笛を吹く青年等は非国民として擲られた・・・ 萩原朔太郎 「日清戦争異聞(原田重吉の夢)」
・・・ およそ徳教の書は、古聖賢の手になり、またその門に出でしものにして、主義のいかんにかかわらず、天下後世の人がその書を尊信するは、その聖賢の徳義を尊信するがゆえなり。支那の四書五経といい、印度の仏経といい、西洋のバイブルといい、孔孟、釈迦・・・ 福沢諭吉 「読倫理教科書」
出典:青空文庫