・・・たとえば、音楽の演奏会の批評などは、その時に聞かなかった聴衆にはナンセンスである。生け花展覧会の批評などもややこれに類している。映画の批評となると、まさかそれほどでもないかもしれないが、大多数の映画の大衆観客にとっての生命はひと月とはもたな・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(4[#「4」はローマ数字、1-13-24])」
・・・半分はフーヴァーを写し半分は聴衆のほうにカメラを向けたのを撮ったほうが有効である。 こういう現実味からいうと演劇フィルムは多くははなはだ空疎なものである。プロットにないよけいなものは塵一筋も写さないというのが立て前であるらしい。これは劇・・・ 寺田寅彦 「映画時代」
・・・またそれを口で話して一定の聴衆が聞くだけでもそれは文学ではない。象形文字であろうが、速記記号であろうが、ともかくも読める記号文字で、粘土板でもパピラスでも「記録」されたものでなければおそらくそれを文学とは名づけることができないであろう。つま・・・ 寺田寅彦 「科学と文学」
・・・暑いころの昼席だと聴衆はほんの四五人ぐらいのこともあった。くりくり坊主の桃川如燕が張り扇で元亀天正の武将の勇姿をたたき出している間に、手ぬぐい浴衣に三尺帯の遊び人が肱枕で寝そべって、小さな桶形の容器の中から鮓をつまんでいたりした。西裏通りへ・・・ 寺田寅彦 「銀座アルプス」
・・・ 独立な屋根をもった舞台の三方を廻廊のような聴衆観客席が取り囲んで、それと舞台との間に溝渠のような白洲が、これもやはり客席になっている。廻廊の席と白洲との間に昔はかなり明白な階級の区別がたったものであろうと思われた。自分の案内されたのは・・・ 寺田寅彦 「雑記(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・演壇のまわりを、組合員と学生が五十人ばかりとりまいているほかは、ひろい公会堂の隅の方に、一般聴衆の三人五人が下足をつまんで、中腰にしゃがんでいる。そしてそんな聴衆も、高島が演壇にでてきて五分もたつと、ぶえんりょに欠伸などしながら帰ってしまっ・・・ 徳永直 「白い道」
・・・ わたしは筆を中途に捨てたわが長編小説中のモデルを、しばしば帝国劇場に演ぜられた西洋オペラまたはコンセールの聴衆の中に索めようと力めた。また有楽座に開演せられる翻訳劇の観客に対しては特に精細なる注意をなした。わたしは漸くにして現代の婦人・・・ 永井荷風 「十日の菊」
・・・これは友人滝君が京都大学で本邦美術史の講演を依託された際、聴衆に説明の必要があって、建築、彫刻、絵画の三門にわたって、古来から保存された実物を写真にしたものであるから、一枚一枚に観て行くと、この方面において、わが日本人が如何なる過去をわれわ・・・ 夏目漱石 「『東洋美術図譜』」
・・・高原君はしきりに聴衆諸君に向って厭になったら遠慮なく途中で御帰りなさいと云われたようですが私は厭になっても是非聴いていていただきたいので、その代り高原君ほど長くはやりません。この暑いのにそう長くやっては何だか脳貧血でも起しそうで危険ですから・・・ 夏目漱石 「中味と形式」
・・・これだけの聴衆全体に通るような声を出そうとすれば――第一出る訳がないけれども、万一出るにしても十五分ぐらいで壇を降りなければやりきれないだろうと思います。したがって、始めての事でもあるしこれほど御集りになった諸君の御厚意に対してもなるべく御・・・ 夏目漱石 「文芸と道徳」
出典:青空文庫