・・・ 寒中には着物を後ろ前に着て背筋に狭い窓をあけ、そうして火燵にかじりついてすえてもらった。神経衰弱か何かの療法に脊柱に沿うて冷水を注ぐのがあったようであるが、自分の場合は背筋のまん中に沿うて四五寸の幅の帯状区域を寒気にさらして、その中に・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
・・・みかんをむいて一袋ずつ口へ運び器用に袋の背筋をかみ破ってはきれいに汁を吸うて残りを捨てていた。すっかり感心して、それ以来みかんの食い方だけはこの梅ヶ谷のまねをすることにきめてしまった。 ラジオの放送を聞きながらこんな取り止めもないことを・・・ 寺田寅彦 「相撲」
・・・ あとで聞いてみると、玄関の騒ぎが終わった後に女中が部屋へ帰ってすわっているうちに妙に背筋の所がぽかぽか暖かになって来たそうである。変だと思っているうちに、そこに重みのある或るものが動くのを感じたので、はじめて気がついていきなり茶の間へ・・・ 寺田寅彦 「ねずみと猫」
・・・それは黒い背筋の上に薄いレモン色の房々とした毛束を四つも着け、その両脇に走る美しい橙紅色の線が頭の端では燃えるような朱の色をして、そこから真黒な長い毛が突き出している。これが薔薇のみならず、萩にもどうだんにも芙蓉にも夥しくついている。これは・・・ 寺田寅彦 「蜂が団子をこしらえる話」
・・・それに熱でも出て来た故か、ゾッと寒気が背筋を走った。 彼は夜具を、スッポリ頭から冠って、眼を閉じた。いろんな事が頭をひっかき廻した。 あのときも……。 四五人のスキャップを雇い込んで、××町の交番横に、トラックを待たせておいて、・・・ 徳永直 「眼」
・・・天井を見ると左右は低く中央が高く馬の鬣のごとき形ちをしてその一番高い背筋を通して硝子張りの明り取りが着いている。このアチックに洩れて来る光線は皆頭の上から真直に這入る。そうしてその頭の上は硝子一枚を隔てて全世界に通ずる大空である。眼に遮るも・・・ 夏目漱石 「カーライル博物館」
・・・ 自分は畳んだ羽織やちり紙を枕がわりに頭の下へかい、踵の方に力をこめて、背筋をのばすように仰向きに寝ながら、それらの街の音をきき、ぼんやり電球を眺めている。 電球はいきなりむき出しに、廊下に向う金網の鉄の外枠から下っているのだが、そ・・・ 宮本百合子 「刻々」
・・・より合う心の近さにつれて二つの唇が触れ合おうとしてしかし触れず、互の眼をながめ合ってその瞬間のすぎる風情には、観ていて背筋のひきしまるような美感があふれた。そしてそれは愛の感覚に直接迫るものだった。私たちの新しい芸術で性感は美術の一種として・・・ 宮本百合子 「さしえ」
・・・暗くなって、その室の人数が一人一人減ってゆくと、少女の心は落付いていにくかった。背筋のひきしまるような気もちで、人気のない長廊下を来て柵のところの机に、電燈の光を肩から浴びた受付の人の姿を見るとき、人里に近づいた暖かみと安心とを覚え、階段に・・・ 宮本百合子 「図書館」
出典:青空文庫