・・・それ以上の臨時の入費に就いては、長兄も流石に拒否した。当然の事であった。私は、兄の愛情に報いようとする努力を何一つ、していない。身勝手に、命をいじくり廻してばかりいる。そのとしの秋以来、時たま東京の街に現れる私の姿は、既に薄穢い半狂人であっ・・・ 太宰治 「東京八景」
・・・ 細田氏は、大戦の前は、愛国悲詩、とでもいったような、おそろしくあまい詩を書いて売ったり、またドイツ語も、すこし出来るらしく、ハイネの詩など訳して売ったり、また女学校の臨時雇いの教師になったりして、甚だ漠然たる生活をしていた人物であった・・・ 太宰治 「女神」
・・・ただ、自分のいまの緊張を言いあらわすのに、ちょっと手頃な言葉だと思って、臨時に拝借してみたものらしい。アアメン、なるほど心が落ちつく。次女はもったい振り、足の下の小さい瀬戸の火鉢に、「梅花」という香を一つ焚べて、すうと深く呼吸して眼を細めた・・・ 太宰治 「ろまん燈籠」
・・・ 十 四、五月頃に新宿駅前から帝都座前までの片側の歩道にヨーヨーを売る老若男女の臨時商人が約二十人居た。それが、七月半ば頃にはもう全く一人も居なくなってしまった。そうしてその頃からマルキシストの転向が新聞紙上・・・ 寺田寅彦 「KからQまで」
・・・人間の場合においては、球技を職業とする人は格別、普通にはとにかく不生産的の遊戯であり、日常生活の営みからの臨時転向である。こう思ってしまえば誠に簡単であるが、自分にはどうもそうばかりとは思われない。人間が色々な球を弄ぶことに興味を感じるのに・・・ 寺田寅彦 「ゴルフ随行記」
・・・とにかく震災地とは思われない長閑な光景であるが、またしかし震災地でなければ見られない臨時応急の「託児所」の光景であった。 この幼い子供達のうちには我家が潰れ、また焼かれ、親兄弟に死傷のあったようなのも居るであろうが、そういう子等がずっと・・・ 寺田寅彦 「静岡地震被害見学記」
・・・観客中の本職の素人が臨時に頼まれて出て来たのかと思うほど役者ばなれがして見えた。こういうのは成効であるか不成効であるか、それは自分等には分からない。 この一座には立役者以外の端役になかなか芸のうまい人が多いようである。この一座に限らず芝・・・ 寺田寅彦 「初冬の日記から」
・・・この姓名は臨時にこしらえたものらしい。 この三月にはまた次のような端書が来た。「始めて貴下の随筆『柿の種』を見初めまして今32頁の鳥や魚の眼の処へ来ました、何でもない事です。試みに御自分の両眼の間に新聞紙を拡げて前に突き出して左・・・ 寺田寅彦 「随筆難」
・・・震災後に開かれた一直線の広い道路と、むかしから流れている幾筋の運河とが、際限なき焦土の上に建てられた臨時の建築物と仮小屋とのごみごみした間を縦横に貫き走っている処が、即ち深川だといえば、それで事は尽きてしまうのである。 災後、新に開かれ・・・ 永井荷風 「深川の散歩」
・・・して幸いに余楽を楽しむものなれども、栄枯無常の人間世界に居れば、不幸にしてただ苦労にのみ苦しむこともあるべき約束なりと覚悟を定めて、さて一夫多妻、一婦多男は、果たして天理に叶うか、果たして人事の要用、臨時の便利にして害なきものかと尋ぬるに、・・・ 福沢諭吉 「日本男子論」
出典:青空文庫