・・・そうかと思うと一方には、代がわりした『毎日新聞』の翌々日に載る沼南署名の訣別の辞のゲラ刷を封入した自筆の手紙を友人に配っている。何人に配ったか知らぬが、僅に数回の面識しかない浅い交際の私の許へまで遣したのを見るとかなり多数の知人に配ったらし・・・ 内田魯庵 「三十年前の島田沼南」
・・・その頃はマダ右眼の失明がさしたる障碍を与えなかったらしいのは、例えば岩崎文庫所蔵の未刊藁本『禽鏡』の失明の翌年の天保五年秋と明記した自筆の識語を見ても解る。筆力が雄健で毫も窘渋の痕が見えないのは右眼の失明が何ら累をなさなかったのであろう。・・・ 内田魯庵 「八犬伝談余」
・・・ 兄がなくなったのは、私が大学へはいったとしの初夏でありましたが、そのとしのお正月には、応接室の床の間に自筆の掛軸を飾りました。半折に、「この春は、仏心なども出で、酒もあり、肴もあるをよろこばぬなり。」と書かれていて、訪問客は、みんな大・・・ 太宰治 「兄たち」
・・・一方でA村の姉のはほとんど自筆で、たまに代筆があっても手跡は全くちがっていてこのほうはほとんど問題にならなかった。「まだ研究していらっしゃるの。……あなたもずいぶん変なかたねえ。いまに手紙かはがきが来ればわかるじゃありませんか。」 ・・・ 寺田寅彦 「球根」
子規の自筆を二つ持っている。その一つは端書で「今朝ハ失敬、今日午後四時頃夏目来訪只今帰申候。寓所ハ牛込矢来町三番地字中ノ丸丙六〇号」とある。片仮名は三字だけである。「四時頃」の三字はあとから行の右側へ書き入れになっている。・・・ 寺田寅彦 「子規自筆の根岸地図」
・・・ 後年夏目先生の千駄木時代に自筆絵はがきのやりとりをしていたころ、ふと、この伯母のたぬきの踊りの話を思い出して、それをもじった絵はがきを先生に送った。ちょうど先生が「吾輩は猫である」を書いていた時だから、さっそくそれを利用されて作中の人・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
・・・近くに田舎へ帰るので、できるだけ多くの俳人に自筆の句をもらってみやげにしたいというのである。帳面は俳句日記かなんかの古物であったかと思うが、明けて見るとなるほどいろいろの人の手跡でいろいろの句がきたなく書き散らしてある。自分は俳人でもないか・・・ 寺田寅彦 「俳諧瑣談」
・・・〔自筆稿『ホトトギス』第三巻第三号 明治32・12・10〕 正岡子規 「熊手と提灯」
・・・材料 蕪村は狐狸怪をなすことを信じたるか、たとい信ぜざるもこの種の談を聞くことを好みしか、彼の自筆の草稿新花摘は怪談を載すること多く、かつ彼の句にも狐狸を詠じたるもの少からず。公達に狐ばけたり宵の春飯盗む狐追ふ声・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・〔自筆稿『ホトトギス』第三巻第一号 明治32・10・10〕 正岡子規 「飯待つ間」
出典:青空文庫