・・・階下の輪転機のまわり出す度にちょうど小蒸汽の船室のようにがたがた身震いをする二階である。まだ一高の生徒だった僕は寄宿舎の晩飯をすませた後、度たびこの二階へ遊びに行った。すると彼は硝子窓の下に人一倍細い頸を曲げながら、いつもトランプの運だめし・・・ 芥川竜之介 「彼」
・・・――お蓮はいつか大勢の旅客と、薄暗い船室に乗り合っている。円い窓から外を見ると、黒い波の重なった向うに、月だか太陽だか判然しない、妙に赤光のする球があった。乗合いの連中はどうした訳か、皆影の中に坐ったまま、一人も口を開くものがない。お蓮はだ・・・ 芥川竜之介 「奇怪な再会」
・・・僕は食事をすませた後、薄暗い船室の電灯の下に僕の滞在費を計算し出した。僕の目の前には扇が一本、二尺に足りない机の外へ桃色の流蘇を垂らしていた。この扇は僕のここへ来る前に誰かの置き忘れて行ったものだった。僕は鉛筆を動かしながら、時々又譚の顔を・・・ 芥川竜之介 「湖南の扇」
・・・もっとも、さっき甲板ではちょいと姿を見かけたが、その後、君の船室へもサロンへも顔を出さなかったので、僕はもう帰ったのかと思っていた。ところが、先生、僕をつかまえると、大元気で、ここへ来るといつでも旅がしたくなるとか、己も来年かさ来年はアメリ・・・ 芥川竜之介 「出帆」
・・・ 二郎はわれを導きてその船室に至り、貴嬢の写真取り出して写真掛けなるわが写真の下にはさみ、われを顧みてほほえみつ、彼女またわれらの中に帰り来たりぬといえり。この言葉は短けれどその意は長し―― この書状は例によりてかの人に託すべけれど・・・ 国木田独歩 「おとずれ」
・・・私は新潟の港を見捨て、船室へはいった。二等船室の薄暗い奥隅に、ボオイから借りた白い毛布にくるまって寝てしまった。船酔いせぬように神に念じた。船には、まるっきり自信が無かった。心細い限りである。ゆらゆら動く、死んだ振りをしていようと思った。眼・・・ 太宰治 「佐渡」
・・・しばらく船室に引込んでいて再び甲板へ出ると、意外にもひどい雨が右舷から面も向けられないように吹き付けている。寒暖二様の空気と海水の相戦うこの辺の海上では、天気の変化もこんなに急なものかと驚かれるのであった。 海から近づいて行く函館の山腹・・・ 寺田寅彦 「札幌まで」
・・・熱帯とも思われぬような涼しい風が吹いて船室の中も涼しかった。四月二十五日 十二使徒という名の島を右舷に見た。それを通り越すと香炉のふたのような形の島が見えたが名はわからなかった。 一等客でコロンボから乗った英国人がけさ投身したと・・・ 寺田寅彦 「旅日記から(明治四十二年)」
・・・早く行て船室へ場を取りませねばと立上がれば婢僕親戚上り框に集いて荷物を車夫に渡す。忘れ物はないか。御座りませぬ。そんなら皆さん御機嫌よくも云った積りなれどやゝ夢心地なればたしかならず。玄関を出れば人々も砂利を鳴らしてついて来る。用意の車五輌・・・ 寺田寅彦 「東上記」
天幕の破れ目から見ゆる砂漠の空の星、駱駝の鈴の音がする。背戸の田圃のぬかるみに映る星、籾磨歌が聞える。甲板に立って帆柱の尖に仰ぐ星、船室で誰やらが欠びをする。 寺田寅彦 「星」
出典:青空文庫