・・・いかにかれは零落するとも、都の巷に白馬を命として埃芥のように沈澱してしまう人ではなかった。 しかし「ひげ」の「五年十年」はあたらなかった、二十年ぶりに豊吉は帰って来た、しかも「ひげ」の「五年十年」には意味があるので、実にあたったのである・・・ 国木田独歩 「河霧」
・・・ゆりならずや幸助をいかにせしぞ、わが眠りし間に幸助いずれにか逃げ亡せたり、来たれ来たれ来たれともに捜せよ、見よ幸助は芥溜のなかより大根の切片掘りだすぞと大声あげて泣けば、後ろより我子よというは母なり。母は舞台見ずやと指さしたまう。舞台には蝋・・・ 国木田独歩 「源おじ」
・・・すると今手にしていた竿を置くか置かぬかに、魚の中りか芥の中りかわからぬ中り、――大魚に大ゴミのような中りがあり、大ゴミに大魚のような中りがあるもので、そういう中りが見えますと同時に、二段引どころではない、糸はピンと張り、竿はズイと引かれて行・・・ 幸田露伴 「幻談」
・・・いまは、あのように街路で無心のふうを装い、とるに足らぬもののごとくみずから卑下して、芥箱を覗きまわったりなどしてみせているが、もともと馬を斃すほどの猛獣である。いつなんどき、怒り狂い、その本性を暴露するか、わかったものではない。犬はかならず・・・ 太宰治 「畜犬談」
・・・君は、芥子つぶほどの蟹を見たことがあるか。芥子つぶほどの蟹と、芥子つぶほどの蟹とが、いのちかけて争っていた。私、あのとき、凝然とした。わがダンディスム「ブルウタス、汝もまた。」 人間、この苦汁を嘗めぬものが、かつて、ひと・・・ 太宰治 「もの思う葦」
・・・けた一瞬まえの笹の葉の霜、一万年生きた亀の甲、月光の中で一粒ずつ拾い集めた砂金、竜の鱗、生れて一度も日光に当った事のないどぶ鼠の眼玉、ほととぎすの吐出した水銀、蛍の尻の真珠、鸚鵡の青い舌、永遠に散らぬ芥子の花、梟の耳朶、てんとう虫の爪、きり・・・ 太宰治 「ろまん燈籠」
・・・従って、この特徴と重写の技巧とを併用すれば、一粒の芥子種の中に須弥山を収めることなどは造作もないことである。巨人の掌上でもだえる佳姫や、徳利から出て来る仙人の映画などはかくして得られるのである。このようにカメラの距離の調節によって尺度の調節・・・ 寺田寅彦 「映画の世界像」
・・・粟粒芥顆のうちに蒼天もある、大地もある。一世師に問うて云う、分子は箸でつまめるものですかと。分子はしばらく措く。天下は箸の端にかかるのみならず、一たび掛け得れば、いつでも胃の中に収まるべきものである。 また思う百年は一年のごとく、一年は・・・ 夏目漱石 「一夜」
・・・私が今晩こうやって演説をするにしても、私の一字一句に私と云うものがつきまつわっておってどうかして笑わせてやろう、どうかして泣かせてやろうと擽ったり辛子を甞めさせるような故意の痕跡が見え透いたら定めし御聴き辛いことで、ために芸術品として見たる・・・ 夏目漱石 「文芸と道徳」
・・・見よ、彼は自らの芥子の種子ほどの智識を以てかの無上土を測ろうとする、その論を更に今私は繰り返すだも恥ずる処であるが実証の為にこれを指摘するならば彼は斯う云っている。クリスト教国に生れて仏教を信ずる所以はどうしても仏教が深遠だからであると。ク・・・ 宮沢賢治 「ビジテリアン大祭」
出典:青空文庫