・・・丁度四歳の初冬の或る夕方、私は松や蘇鉄や芭蕉なぞに其の年の霜よけを為し終えた植木屋の安が、一面に白く乾いた茸の黴び着いている井戸側を取破しているのを見た。これも恐ろしい数ある記念の一つである。蟻、やすで、むかで、げじげじ、みみず、小蛇、地蟲・・・ 永井荷風 「狐」
・・・ 或日わたくしはいつもの如く中洲の岸から清洲橋を渡りかけた時、向に見える万年橋のほとりには、かつて芭蕉庵の古址と、柾木稲荷の社とが残っていたが、震災後はどうなったであろうと、ふと思出すがまま、これを尋ねて見たことがあった。 清洲橋を・・・ 永井荷風 「深川の散歩」
・・・文芸の士はこの意味においてけっして閑人ではありません。芭蕉のごとく消極的な俳句を造るものでも李白のような放縦な詩を詠ずるものでもけっして閑人ではありません。普通の大臣豪族よりも、有意義な生活を送って、皆それぞれに人生の大目的に貢献しておりま・・・ 夏目漱石 「文芸の哲学的基礎」
・・・日本の詩人は、芭蕉、西行等の古から、大正昭和の現代に至るまで、皆一つの極つた範疇を持つて居る。その範疇といふのは、単に感覚や気分だけで、自然人生を趣味的に観照するのである。日本の詩人等は、昔から全く哲学する精神を欠乏して居る。そして此処に詩・・・ 萩原朔太郎 「ニイチェに就いての雑感」
・・・彼が新言語を用うるに先だつ百四、五十年前に芭蕉一派の俳人は、彼が用いしよりも遥かに多き新言語を用いたり。彼の歌想は他の歌想に比して進歩したるところありとこそいうべけれ、これを俳句の進歩に比すれば未だその門墻をも覗い得ざるところにあり。俳人の・・・ 正岡子規 「曙覧の歌」
緒言 芭蕉新たに俳句界を開きしよりここに二百年、その間出づるところの俳人少からず。あるいは芭蕉を祖述し、あるいは檀林を主張し、あるいは別に門戸を開く。しかれどもその芭蕉を尊崇するに至りては衆口一斉に出づるがごとく、檀林等流派を異・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・という東條英機の芭蕉もじりの発句には、彼の変ることない英雄首領のジェスチュアがうかがわれる。二十五種類の辞句のうちに、ただの一枚も、こころから日本の未来によびかけて、その平和と平安のために美しい、現実的な祝福をあたえたものがない。このことに・・・ 宮本百合子 「新しい潮」
・・・なにか、芭蕉の句を引いて、芭蕉の芸術境に対する自己の傾倒をのべた一文があった。引用されている句の中には「あか/\と日は難面も秋の風」「馬をさへながむる雪の朝哉」そのほか心に刻まれた句があった。藤村氏は、それらに対する味到の心持をのべている。・・・ 宮本百合子 「鴎外・漱石・藤村など」
・・・わたくしは魯文の記する所に従って、「絶筆、おのれにもあきての上か破芭蕉」の句を挙げて置いた。しかし真の辞世の句は「梅が香やちよつと出直す垣隣」だそうである。梅が香の句は灑脱の趣があって、この方が好い。 芥川氏の所蔵に香以の父竜池が鎌倉、・・・ 森鴎外 「細木香以」
・・・かの風流の達人として赦された芭蕉の最後の苦痛は何んであったか。曾ては彼があれほども徹した生活の感覚化への陶酔が、彼にあっては終に自身の高き悟性故に自縛の綱となった。それが彼の残した大いなる苦悶であった。此の潜める生来の彼の高貴な稟性は、終に・・・ 横光利一 「新感覚論」
出典:青空文庫