・・・河童の一肩、聳えつつ、「芸人でしゅか、士農工商の道を外れた、ろくでなしめら。」「三郎さん、でもね、ちょっと上手だって言いますよ、ぽう、ぽっぽ。」 翁ははじめて、気だるげに、横にかぶりを振って、「芸一通りさえ、なかなかのものじ・・・ 泉鏡花 「貝の穴に河童の居る事」
・・・かつて、彼の叔父に、ある芸人があったが、六十七歳にして、若いものと一所に四国に遊んで、負けない気で、鉄枴ヶ峰へ押昇って、煩って、どっと寝た。 聞いてさえ恐れをなすのに――ここも一種の鉄枴ヶ峰である。あまつさえ、目に爽かな、敷波の松、白妙・・・ 泉鏡花 「開扉一妖帖」
・・・ 紫玉は敗竄した芸人と、荒涼たる見世ものに対して、深い歎息を漏らした。且つあわれみ、且つ可忌しがったのである。 灰吹に薄い唾した。 この世盛りの、思い上れる、美しき女優は、樹の緑蝉の声も滴るがごとき影に、框も自然から浮いて高い処・・・ 泉鏡花 「伯爵の釵」
・・・ が、それもその筈、あとで身上を聞くと、芸人だと言う。芸人も芸人、娘手品、と云うのであった。 思い懸けず、余り変ってはいたけれども、当人の女の名告るものを、怪しいの、疑わしいの、嘘言だ、と云った処で仕方がない。まさか、とは考えるが、・・・ 泉鏡花 「妖術」
・・・であって、驚くべき奇才であるとは認めていたが、正直正太夫という名からして寄席芸人じみていて何という理由もなしに当時売出しの落語家の今輔と花山文を一緒にしたような男だろうと想像していた。尤もこういう風采の男だとは多少噂を聞いていたが、会わない・・・ 内田魯庵 「斎藤緑雨」
・・・しかも漢詩漢文や和歌国文は士太夫の慰みであるが、小説戯曲の如きは町人遊冶郎の道楽であって、士人の風上にも置くまじきものと思われていた故、小説戯曲の作者は幇間遊芸人と同列に見られていた。勧善懲悪の旧旗幟を撞砕した坪内氏の大斧は小説其物の内容に・・・ 内田魯庵 「二十五年間の文人の社会的地位の進歩」
・・・ その頃の書生は今の青年がオペラやキネマへ入浸ると同様に盛んに寄席へ通ったもので、寄席芸人の物真似は書生の課外レスンの一つであった。二葉亭もまた無二の寄席党で、語学校の寄宿舎にいた頃は神保町の川竹の常連であった。新内の若辰が大の贔負で、・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・それで浜子は新次のことを小円団治とよんで、この子は芸人にしまんねんと喜んでいたが、おきみ婆さんにはそれがかねがね気羨かったのでしょう。私を送って行った足で上りこむなり、もう嫌味たっぷりに、――高津神社の境内にある安井稲荷は安井さんといって、・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・そうしてこれがいちばん大阪的であると私が思うのは、これらの文楽の芸人たちがその血の出るような修業振りによっても、また文楽以外に何の関心も興味も持たずに阿呆と思えるほど一途の道をこつこつ歩いて行くその生活態度によっても、大阪に指折り数えるほど・・・ 織田作之助 「大阪発見」
・・・ 仕事に熱心な佐川は、新しい芸人を見つけると、貪欲な企画熱をあげるのだった。頼み方はおだやかだが、自分の企画に悦に入っている執拗さがあった。「いや、お言葉はありがたく頂戴しまっけど、どうも、人を笑わすいう気になれまへんので……」・・・ 織田作之助 「昨日・今日・明日」
出典:青空文庫