・・・少なくとも小突いたり、鼻をつまんだり、そんな苛め方をしてみたくなる筈だ。嘘と思うなら、あの人と結婚してみるがいい。いいえ、誰もあの人と結婚することは出来ない。私はあの人の妻だもの。そんな風にして眠ってしまったあの人の寝顔を見ていると、私は急・・・ 織田作之助 「天衣無縫」
・・・ だからといって、私は姑に虐められた嫁のように、この不幸に打ち沈んでいるわけではさらにない。むしろサバサバしている。というのは、実は嫁の方ではじめから姑に愛想をつかしていたからである。姑はなんでもかんでも、自分の言う通りせよと言う。それ・・・ 織田作之助 「東京文壇に与う」
・・・嫁が来た日から病に取り憑かれたのだというその意味は、登勢の胸にも冷たく落ち、この日からありきたりの嫁苛めは始まるのだと咄嗟に登勢は諦めたが、しかし苛められるわけはしいて判ろうとはしなかった。 けれども、寺田屋には、御寮はん、笑うてはる場・・・ 織田作之助 「螢」
・・・きびしい稽古に苛め抜かれて来たことが、はっとするくらい庄之助には判り、チクチク胸が刺されるようだったが、しかし、今はもう以前にもまして苛め抜くより外に、愛情の注ぎようがないわけだと、庄之助の眼は残酷な光にふと燃えていた。・・・ 織田作之助 「道なき道」
・・・となおも苛めにかかったが、近所の体裁もあったから、そのくらいにして、戸を開けるなり、「おばはん、せせ殺生やぜ」と顔をしかめて突っ立っている柳吉を引きずり込んだ。無理に二階へ押し上げると、柳吉は天井へ頭を打っつけた。「痛ア!」も糞もあるもんか・・・ 織田作之助 「夫婦善哉」
・・・一時はひっそくしかけていた鉄工所も事変以来殷賑を極めて、いまはこんな身分だと、坂田を苛めてやりたかったのである。が、さすがにそれが出来ぬほど、坂田はみじめに見えた。照枝だって貧乏暮しでやつれているだろう。「なんぞ役に立つことがあったら、・・・ 織田作之助 「雪の夜」
・・・その時分の生徒は皆恐らく今此所には一人もいないでしょう、卒業したでしょうけれども、しかし貴方がたはその後裔といいますか、跡続ぎ見たような子分見たような者で、その親分をこの教場で度々虐めていた事などがあるから、その子か孫に当るような人などは何・・・ 夏目漱石 「模倣と独立」
・・・その頃の生徒や教師に対して、一人一人にみな復讐をしてやりたいほど、僕は皆から憎まれ、苛められ、仲間はずれにされ通して来た。小学校から中学校へかけ、学生時代の僕の過去は、今から考えてみて、僕の生涯の中での最も呪わしく陰鬱な時代であり、まさしく・・・ 萩原朔太郎 「僕の孤独癖について」
・・・誰かに苛められたの」私は入口の方をチョッと見やりながら訊いた。 もう戸外はすっかり真っ暗になってしまった。此だだっ広い押しつぶしたような室は、いぶったランプのホヤのようだった。「いつ頃から君はここで、こんな風にしているの」私は努めて・・・ 葉山嘉樹 「淫賣婦」
・・・原の広さ、天の大きさ、風の強さ、草の高さ、いずれも恐ろしいほどに苛めしくて、人家はどこかすこしも見えず、時々ははるか対方の方を馳せて行く馬の影がちらつくばかり、夕暮の淋しさはだんだんと脳を噛んで来る。「宿るところもおじゃらぬのう」「今宵は野・・・ 山田美妙 「武蔵野」
出典:青空文庫