・・・荒川堤の南岸浮間ヶ原には野生の桜草が多くあったのを聞きつたえて、草鞋ばきで採集に出かけた。この浮間ヶ原も今は工場の多い板橋区内の陋巷となり、桜草のことを言う人もない。 ダリヤは天竺牡丹といわれ稀に見るものとして珍重された。それはコスモス・・・ 永井荷風 「葛飾土産」
・・・着物の裾をからげて浅葱の股引をはき、筒袖の絆纏に、手甲をかけ、履物は草鞋をはかず草履か雪駄かをはいていた。道具を入れた笊を肩先から巾広の真田の紐で、小脇に提げ、デーイデーイと押し出すような太い声。それをば曇った日の暮方ちかい頃なぞに聞くと、・・・ 永井荷風 「巷の声」
・・・車夫は草鞋も足袋も穿かずに素足を柔かそうな土の上に踏みつけて、腰の力で車を爪先上りに引き上げる。すると左右を鎖す一面の芒の根から爽かな虫の音が聞え出した。それが幌を打つ雨の音に打ち勝つように高く自分の耳に響いた時、自分はこの果しもない虫の音・・・ 夏目漱石 「初秋の一日」
・・・と圭さんは薄黒く渦巻く煙りを仰いで、草鞋足をうんと踏張った。「大変な権幕だね。君、大丈夫かい。十把一とからげを放り込まないうちに、君が飛び込んじゃいけないぜ」「あの音は壮烈だな」「足の下が、もう揺れているようだ。――おいちょっと・・・ 夏目漱石 「二百十日」
・・・菅笠や草鞋を買うて用意を整えて上野の汽車に乗り込んだ。軽井沢に一泊して善光寺に参詣してそれから伏見山まで来て一泊した。これは松本街道なのである。翌日猿が馬場という峠にかかって来ると、何にしろ呼吸病にかかっている余には苦しい事いうまでもない。・・・ 正岡子規 「くだもの」
・・・其人等は皆脚袢草鞋の出立ちでもとより荷物なんどはすこしも持っていない。一面の田は稲の穂が少し黄ばんで畦の榛の木立には百舌鳥が世話しく啼いておる。早桶は休みもしないでとうとう夜通しに歩いて翌日の昼頃にはとある村へ着いた。其村の外れに三つ四つ小・・・ 正岡子規 「死後」
・・・ 達二は、明後日から、また自分で作った小さな草鞋をはいて、二つの谷を越えて、学校へ行くのです。 宿題もみんな済ましたし、蟹を捕ることも木炭を焼く遊びも、もうみんな厭きていました。達二は、家の前の檜によりかかって、考えました。(あ・・・ 宮沢賢治 「種山ヶ原」
・・・と村ソヴェトの成立と同時に、彼の草鞋をぬぎすてはしなかった。密造酒をつくることも、仲介人が結納品のかけ合をやる婚礼もすぐには絶えなかった。 昔からの民謡を、ピオニェールも謡うだろう。「ステンカ・ラージンの岩」は伝説をもって、やっぱりヴォ・・・ 宮本百合子 「五ヵ年計画とソヴェトの芸術」
・・・によって、今日はトンネルがくずれて汽車では通れなくなっているところをも街道を草鞋ばきで目的地へ行きつける場合もあること、しかし汽車があるのにちょんまげつけて歩く方を選ぶという方法の唾棄すべきこと、並に、史実は甚だ重要ではあるが唯一の準拠的な・・・ 宮本百合子 「今日の文学の諸相」
・・・ 手槍を取って庭に降り立つとき、数馬は草鞋の緒を男結びにして、余った緒を小刀で切って捨てた。 阿部の屋敷の裏門に向うことになった高見権右衛門はもと和田氏で、近江国和田に住んだ和田但馬守の裔である。初め蒲生賢秀にしたがっていたが、・・・ 森鴎外 「阿部一族」
出典:青空文庫