・・・げに、資本主義の波に蕩揺されつゝ工場から工場へ、時に、海を越えて、何処と住居を定めぬ人々にとっては、一坪の菜園すら持たないのである。けれど、彼等は、それを、真に不幸とは思わないだろうか? 人間は、到底、理知のみで生きることはできない。心・・・ 小川未明 「彼等流浪す」
・・・櫟林や麦畠や街道や菜園や、地形の変化に富んだその郊外は静かで清すがしかった。乳牛のいる牧場は信子の好きなものだった。どっしりした百姓家を彼は愛した。「あれに出喰わしたら、こう手綱を持っているだろう、それのこちら側へ避けないと危いよ」・・・ 梶井基次郎 「雪後」
・・・左の方はひろい芝生つづきの庭が見え、右の方は茄子とか、胡瓜を植えた菜園に沿うて、小さい道がお勝手口へつづいている。もちろん私はお勝手口の方へその小さい菜園の茄子や胡瓜にこんにゃく桶をぶっつけぬように注意しながらいったのであるが、気がつくと、・・・ 徳永直 「こんにゃく売り」
・・・どこかで土を掘り返す鋤の音がした。菜園の上からは白い一条の煙が立ち昇っていて、ゆるく西の方へ靡いていた。 勘次は叺を抱えて蔵の中から出て来ると、誰にも相手にされず、台石の上でひとりぼんやりしている安次の姿が眼についた。それは弱々しいとり・・・ 横光利一 「南北」
・・・そこでは時ならぬ菜園がアセチリンの光りを吸いながら、青々と街底の道路の上で開いていた。水を打たれた青菜の列が畑のように連なって、青い微風の源のように絶えずそよそよと冷たい匂いを群集の中へ流し込んだ。 彼は漸く浮き上った心を静に愛しながら・・・ 横光利一 「街の底」
・・・あるいは全然装飾化された菜園である。そこに現われたのは写実によって美を生かそうとする意図ではなく、美しい色と線との諧和のために、自然の内からある色と線とを抽出しようとする注意深い選択の努力である。現実の風景を描いた画すらも、画家の直接の印象・・・ 和辻哲郎 「院展遠望」
出典:青空文庫