・・・ 孔子様は世の風俗の衰うるを患て『春秋』を著し、夷狄だの中華だのと、やかましく人をほめたり、そしりたりせられしなれども、細君の交易はさまで心配にもならざりしや、そしらぬ顔にてこれをとがめず。我々どもの考にはちと不行届のように思わるるなり・・・ 福沢諭吉 「中津留別の書」
・・・ その人の著したもののために、世の多くの人の心が害されたと云う事が起れば、それは、自己完成と云う事が出来る事は出来るが、只其の名を汚す事をのみするものである。 如何なる事に於ても、其を一貫した「実」と云うものがなければ、其は、その形・・・ 宮本百合子 「大いなるもの」
・・・なぜならこれまで何百冊かの本を著している科学物語の著者たちは、氷河についてそういう予想を語るとき、いわゆる科学的態度でその予想を告げたっきりで、それを読んだものが、じゃあその時人間はどうなるんだろうと思わずにいられない、当然の疑問には答えず・・・ 宮本百合子 「科学の常識のため」
・・・戦時中彼はヨーロッパ漫遊をしてナチスと兄弟となっていた日本権力の活躍ぶりを視察して、本も著している。鈴木文史朗の暴言に答えて「そんなことはできない」と答えたときのパロット氏の表情が見たかった。鈴木文史朗という新聞記者だったものがアメリカまで・・・ 宮本百合子 「鬼畜の言葉」
・・・等を著し、好きな狩猟をも、楽しみのための殺戮に反対してやめてしまった。次から次へと生れて来る子供たちの世話をしたり、家政をとる傍ら、徹夜までしてレフ・トルストイの作品の浄書をして援けて来たソフィヤ夫人とトルストイの間は、トルストイが一度、一・・・ 宮本百合子 「ジャンの物語」
・・・を抱いていなかったことがうかがわれて興味ふかい。西村茂樹は明治二十年、二葉亭の「浮雲」の出た年に「日本道徳論」を著している。二十八年に「徳学講義」を著し、例えば同じころ「希臘二賢の語に就て」を書いたりしていた津田真道やその頃大いに活動してい・・・ 宮本百合子 「繻珍のズボン」
・・・れていると半ば苦笑の心持もあってその本を手にとってみたら、それはどこかの場当りなブック・メイカアがこしらえているものではなくて、官立大学の学生主事をしている人が、そういう職名もちゃんと肩書きに明記して著している本であった。 このことは、・・・ 宮本百合子 「生態の流行」
・・・を学び、自由党解散の前年「天賦人権論」を著し、獄中生活の後、渡米してフィラデルフィアで客死した。 自由党が禁圧せられ、国会開設が決定され、今日殆ど総ての作家によって理解されている日本の資本主義の特徴ある性質が組織化されてはっきり正面に押・・・ 宮本百合子 「文学における今日の日本的なるもの」
・・・を唱え以て自身の我儘を恣にせんとするもの多し。女子たるものは決して油断す可からず」と、熱烈周密なその「女大学評論」を著しているのは、今日顧みてまことにつきない感想を誘われる。日本の社会の習慣や男の生活を具体的に観察すれば、「我輩は女大学より・・・ 宮本百合子 「三つの「女大学」」
・・・何年か前穂積重遠博士が民法改正委員会を組織して、『民法読本』という本も著し、民法における婦人の地位の改善のための努力を試みたが、明治以来の保守的な日本の支配権力は、この委員会の仕事を、蝸牛の這うようなテンポで引っぱった。 第二次大戦の間・・・ 宮本百合子 「私たちの建設」
出典:青空文庫