・・・ 三予はこう思ったことがある、茶人は愚人だ、其証拠には素人にロクな著述がない、茶人の作った書物に殆ど見るべきものがない、殊に名のある茶人には著書というもの一冊もない、であるから茶人というものは愚人である、茶は面白いが茶・・・ 伊藤左千夫 「茶の湯の手帳」
・・・余り畑違いの著述であるのを不思議に思って、それから間もなく塚原老人に会った時に訊くと、「大変なものを見附けられた。アレはネ……」と渋柿園老人は例の磊落な調子で、「島田の奴が馬を引張って来たので、仕方がないから有合いのものを典じて始末をつけた・・・ 内田魯庵 「三十年前の島田沼南」
・・・従って操觚者が報酬を受くる場合は一冊の著述をする外なく衣食を助くる道は頗る狭くして完全に生活する事が極めて難かしかった。雑誌がビジネスとして立派に成立し、操觚者がプロフェッショナルとして完全に存在するを得るに到ったは畢竟時代の進歩であるが、・・・ 内田魯庵 「二十五年間の文人の社会的地位の進歩」
・・・『経世偉勲』は実は再び世間に顔を出すほどの著述ではないが、ジスレリーの夢が漸く実現された時、その実余人の抄略したものを尾崎行雄自著と頗る御念の入った銘を打って、さも新らしい著述であるかのように再刊されたのは、腕白時代の書初めが麗々しく表装さ・・・ 内田魯庵 「四十年前」
・・・彼は唱題し、教化し、演説に、著述に、夜も昼も精励した。彼の熱情は群衆に感染して、克服しつつ、彼の街頭宣伝は首都における一つの「事件」となってきた。 既成教団の迫害が生ずるのはいうまでもない成行きであった。また鎌倉政庁の耳目を聳動させたの・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・かくの如き馬琴が書きましたるところの著述は、些細なものまでを勘定すれば百部二百部ではきかぬのでありますが、その中で髄脳であり延髄であり脊髄であるところの著述は、皆当時の実社会に対して直接な関係は有して居りませぬので、皆異なった時代――足利時・・・ 幸田露伴 「馬琴の小説とその当時の実社会」
・・・私はいま仮にこの男の事を下等の芸術家と呼んでいるのでありますが、それは何も、この男ひとりを限って、下等と呼んでいるのでは無くして、芸術家全般がもとより下等のものであるから、この男も何やら著述をしているらしいその罰で、下等の仲間に無理矢理、参・・・ 太宰治 「女の決闘」
・・・負傷前は五六時間睡眠平均、または時に徹夜で読書、著述、また会社で小品みたいなものは書いたりしましたが、これからはイヤです。太宰さん、ぼくは東京に帰って、文学青年の生活をしてみたいのです。会社員生活をしているから社会がみえたり、心境が広くなる・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・職業は著述。 三 二三日ぶらぶらしているうちに、私にも、どうやら落ちつきが出て来た。ただ、名前を変えたぐらい、なんの罪があるものか。万が一、見つかったとしても、冗談だとして笑ってすませることである。若いときには・・・ 太宰治 「断崖の錯覚」
・・・それでも三郎は著述の決意だけはまげなかった。そのころ江戸で流行の洒落本を出版することにした。ほほ、うやまってもおす、というような書きだしで能うかぎりの悪ふざけとごまかしを書くことであって、三郎の性格に全くぴたりと合っていたのである。彼が二十・・・ 太宰治 「ロマネスク」
出典:青空文庫