・・・ しかし、年とったがんにとって、この山中の湖は彼のしかばねを葬るところとなりました。まだ、湖の上が鉛色に明けきらぬ、寒い朝、彼は、ついに首垂れたまま自然との闘争の一生を終わることになりました。 その日は、終日がんたちは、湖上に悲しみ・・・ 小川未明 「がん」
・・・闇に葬るなら葬れと、私は破れかぶれの気持で書き続けて行った。三 あれから五年になると、夏の夜の「ダイス」を想い出しながら、私は夜更けの書斎で一人水洟をすすった。 扇風機の前で胸をひろげていたマダムの想出も、雨戸の隙間から・・・ 織田作之助 「世相」
・・・書記官と聞きたる綱雄は、浮世の波に漂わさるるこのあわれなる奴と見下し、去年哲学の業を卒えたる学士と聞きたる辰弥は、迂遠極まる空理の中に一生を葬る馬鹿者かとひそかに冷笑う。善平はさらに罪もなげに、定めてともに尊敬し合いたることと、独りほくほく・・・ 川上眉山 「書記官」
・・・支那の古俗では、身分のある死者の口中には玉を含ませて葬ることもあるのだから、酷い奴は冢中の宝物から、骸骨の口の中の玉まで引ぱり出して奪うことも敢てしようとしたこともあろう。いけんあたりとか聞いたが、今でも百姓が冬の農暇になると、鋤鍬を用意し・・・ 幸田露伴 「骨董」
・・・この寺はむかしから遊女の病死したもの、または情死して引取手のないものを葬る処で、安政二年の震災に死した遊女の供養塔が目に立つばかり。その他の石は皆小さく蔦かつらに蔽われていた。その頃年少のわたくしがこの寺の所在を知ったのは宮戸座の役者たちが・・・ 永井荷風 「里の今昔」
・・・江戸時代には死したる学者を葬る儒者捨場があった。大正文学の遺老を捨てる山は何処にあるか……イヤこんな事を言っていると、わたくしは宛然両君がいうところの「生活の落伍者」また「敗残の東京人」である。さればいかなる場合にも、わたくしは、有島、芥川・・・ 永井荷風 「正宗谷崎両氏の批評に答う」
・・・すべてを葬る時の流れが逆しまに戻って古代の一片が現代に漂い来れりとも見るべきは倫敦塔である。人の血、人の肉、人の罪が結晶して馬、車、汽車の中に取り残されたるは倫敦塔である。 この倫敦塔を塔橋の上からテームス河を隔てて眼の前に望んだとき、・・・ 夏目漱石 「倫敦塔」
・・・天明三年十二月二十四日夜歿し、亡骸は洛東金福寺に葬る。享年六十八。 蕪村は総常両毛奥羽など遊歴せしかども紀行なるものを作らず。またその地に関する俳句も多からず。西帰の後丹後におること三年、因って谷口氏を改めて与謝とす。彼は讃州に遊びしこ・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・ 中国の歴史がうつりかわるにつれて揚子江沿岸の軍閥が擡頭して、白人の事業を破滅に導き、それがやがて辛じて老父の屍を葬る二代目イーベンをせき立てて宜昌から遁走させる「偉大なスローガン」の怒号と高まって来るまで、作者は身についている揚子江航・・・ 宮本百合子 「「揚子江」」
・・・上では弥一右衛門の遺骸を霊屋のかたわらに葬ることを許したのであるから、跡目相続の上にも強いて境界を立てずにおいて、殉死者一同と同じ扱いをしてよかったのである。そうしたなら阿部一族は面目を施して、こぞって忠勤を励んだのであろう。しかるに上で一・・・ 森鴎外 「阿部一族」
出典:青空文庫