一 加賀の国黒壁は、金沢市の郊外一里程の処にあり、魔境を以て国中に鳴る。蓋し野田山の奥、深林幽暗の地たるに因れり。 ここに摩利支天を安置し、これに冊く山伏の住える寺院を中心とせる、一落の山廓あり。戸・・・ 泉鏡花 「妖僧記」
・・・故に、習慣に累せられず、知識に妨げられずに、純鮮なる少年時代の眼に映じた自然より得来た自己の感覚を芸術の上に再現せんとして、努力するのは、蓋し、茲に甚大の意義を有することを知からである。・・・ 小川未明 「感覚の回生」
・・・という諺があります。蓋し、至言となします。いかに、尊敬する人の著書にしろ、時代に推移があり諸科学上に進歩があるからです。書中の認識や、引例等にも、多少の改変を要するものあるは勿論であります。こうした批評眼を有しないものならば、また、読書子の・・・ 小川未明 「書を愛して書を持たず」
・・・世間に妥協するも究極は功利に終始するも、蓋し表現の上では、どんなことも書けると言うのである。 ある者は、世間を詐わり、また自己をも詐わるのだ。真剣であるならば、その態度に対して、第三者は、いさゝかの疑念をも挾むことができないだろう。即ち・・・ 小川未明 「正に芸術の試煉期」
・・・この人生に最も貴い愛、母親に抱かれながら、火の中にも、水の中にも、ほゝえんで入る子供の母親を信ずるにも等しい、人類に根ざす共存の愛の精神は全くブルジョア階級に死んで、独り無産階級にのみ生きている。蓋し、この愛の高潮でなければならないと信じま・・・ 小川未明 「民衆芸術の精神」
・・・ 蓋し人が老いて益々壯んなのは寧ろ例外で、或る齢を過ぎれば心身倶に衰えて行くのみである、人々の遺伝の素質や四囲の境遇の異なるに従って、其年齢は一定しないが、兎に角一度健康・精力が旺盛の絶頂に達するの時代がある、換言すれば所謂「働き盛り」・・・ 幸徳秋水 「死生」
・・・ 蓋し司法権の独立完全ならざる東洋諸国を除くの外は此如き暴横なる裁判、暴横なる宣告は、陸軍部内に非ざるよりは、軍法会議に非ざるよりは、決して見ること得ざる所也。 然り是実に普通法衙の苟も為さざる所也。普通民法刑法の苟も許さざる所也。・・・ 幸徳秋水 「ドレフュー大疑獄とエミール・ゾーラ」
・・・若し能く記事の文に長ずれば往くとして可ならざるなしであると。蓋し岡松先生の教に従ったのである。今先生の記事文の一節を掲げよう。 一日ルソー歩してワンセンヌに赴く。偶ま中路暑に苦み樹下に憩い携うる所の一新聞紙を披いて之を閲するに、中に・・・ 幸徳秋水 「文士としての兆民先生」
・・・と云うものは、大変離れているように考えている人が多数で、道徳を論ずるものは文芸を談ずるを屑しとせず、また文芸に従事するものは道徳以外の別天地に起臥しているように独りぎめで悟っているごとく見受けますが、蓋し両方とも嘘である。その嘘である理由は・・・ 夏目漱石 「文芸と道徳」
・・・議論片落なりと言う可し。蓋し女大学の記者は有名なる大先生なれども、一切万事支那流より割出して立論するが故に、男尊女卑の癖は免かる可らず。実際の真面目を言えば、常に能く夜を守らずして内を外にし、動もすれば人を叱倒し人を虐待するが如き悪風は男子・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
出典:青空文庫