・・・しかもあの女権論者は、骨立った顔に薄化粧をして、絶えず襟を気にしながら、私たちのいる方へ――と云うよりは恐らく隣の縞の背広の方へ、意味ありげな眼を使っているのです。私はこの芝居見物の一日が、舞台の上の菊五郎や左団次より、三浦の細君と縞の背広・・・ 芥川竜之介 「開化の良人」
・・・…… 髷も女優巻でなく、わざとつい通りの束髪で、薄化粧の淡洒した意気造。形容に合せて、煙草入も、好みで持った気組の婀娜。 で、見た処は芸妓の内証歩行という風だから、まして女優の、忍びの出、と言っても可い風采。 また実際、紫玉はこ・・・ 泉鏡花 「伯爵の釵」
・・・ これで安心して、衝と寄りざまに、斜に向うへ離れる時、いま見たのは、この女の魂だったろう、と思うほど、姿も艶に判然して、薄化粧した香さえ薫る。湯上りの湯のにおいも可懐いまで、ほんのり人肌が、空に来て絡った。 階段を這った薄い霧も、こ・・・ 泉鏡花 「鷭狩」
・・・ やがて、出て来た時、お藻代は薄化粧をして、長襦袢を着換えていた。 その長襦袢で……明保野で寝たのであるが、朱鷺色の薄いのに雪輪を白く抜いた友染である。径に、ちらちらと、この友染が、小提灯で、川風が水に添い、野茨、卯の花。且つちり乱・・・ 泉鏡花 「古狢」
・・・――ええ、ざっとお支度済みで、二度めの湯上がりに薄化粧をなすった、めしものの藍鼠がお顔の影に藤色になって見えますまで、お色の白さったらありません、姿見の前で……」 境が思わず振り返ったことは言うまでもない。「金の吸口で、烏金で張った・・・ 泉鏡花 「眉かくしの霊」
一 むらむらと四辺を包んだ。鼠色の雲の中へ、すっきり浮出したように、薄化粧の艶な姿で、電車の中から、颯と硝子戸を抜けて、運転手台に顕われた、若い女の扮装と持物で、大略その日の天気模様が察しられる。 ・・・ 泉鏡花 「妖術」
・・・ くだんの新内、薄化粧の小さな顔をにゅっと近よせ、あたりはばかるひそひそ声で、米屋、米屋、と囁いた。そこへ久保田万太郎があらわれた。その店の、十の電燈のうち七つ消されて、心細くなったころ、鼻赤き五十を越したくらいの商人が、まじめくさってはい・・・ 太宰治 「狂言の神」
・・・せめて来年の夏までには、この朝顔の模様のゆかたを臆することなく着て歩ける身分になっていたい、縁日の人ごみの中を薄化粧して歩いてみたい、そのときのよろこびを思うと、いまから、もう胸がときめきいたします。 盗みをいたしました。それにちがいは・・・ 太宰治 「燈籠」
・・・ただ無神経に、構えているのである。薄化粧したスポーツマン。弱いものいじめ。エゴイスト。腕力は強そうである。年とってからの写真を見たら、何のことはない植木屋のおやじだ。腹掛丼がよく似合うだろう。 私の「犯人」という小説について、「あれは読・・・ 太宰治 「如是我聞」
・・・からだつきも、すらりとして気品があった。薄化粧している事もある。酒はいくらでも飲むが、女には無関心なふうを装っていた。どんな生活をしているのか、住所は絶えず変って、一定していないようであった。この男が、どういうわけか、勝治を傍にひきつけて離・・・ 太宰治 「花火」
出典:青空文庫