ふじわらのゆきなり【藤原行成】
[972〜1028]平安中期の公卿・書家。名は「こうぜい」とも。伊尹 (これただ) の孫。三蹟の一人で、その筆跡を歴任した権中納言・権大納言から権跡 (ごんせき) という。和様書道の完成者で、世尊寺流の祖。日記に「権記」がある。遺墨「白氏詩巻」「本能寺切 (ほんのうじぎれ) 」など。
ふじわらのよしつね【藤原良経】
[1169〜1206]鎌倉初期の公卿・歌人・書家。九条兼実の子。摂政・従一位太政大臣となり、後京極殿と称される。歌を俊成に学び、定家の後援者でもあった。書では後京極流の祖。家集「秋篠月清 (あきしのげっせい) 集」。九条良経。
ふじわらのよしふさ【藤原良房】
[804〜872]平安前期の公卿。冬嗣の二男。通称、白河殿・染殿。嵯峨天皇の皇女潔姫を迎え、娘明子 (あきらけいこ) を文徳天皇の妃とし、人臣で初の太政大臣。また、応天門の変後、摂政となった。「続日本後紀」の編纂 (へんさん) に参画。
ふじわらのよしもと【藤原良基】
⇒二条良基 (にじょうよしもと)
ふじわらのよりつね【藤原頼経】
⇒九条頼経 (くじょうよりつね)
ふじわらのよりなが【藤原頼長】
[1120〜1156]平安後期の公卿。忠実の二男。通称、字治左大臣・悪左府。博識多才で父に愛され、兄の関白忠通と対立。崇徳上皇と結んで保元の乱を起こして敗死。日記「台記」がある。
ふじわらのよりなり【藤原頼業】
平安末期の歌人。出家して寂然 (じゃくぜん) と号し、兄弟の為業(寂念)・為経(寂超)とともに大原に隠れ住み、大原三寂と称された。歌集「寂然法師集」「唯心房集」など。生没年未詳。
ふじわらのよりみち【藤原頼通】
[992〜1074]平安中期の公卿。道長の長男。後一条・後朱雀・後冷泉3代の天皇の摂政・関白となり、父とともに藤原氏全盛期を現出。平等院鳳凰堂を建立、宇治の関白と称された。晩年に出家。
ふじわらよしえ【藤原義江】
[1898〜1976]テノール歌手。山口の生まれ。藤原歌劇団を創設し、日本のオペラ運動の先駆者となった。
ふじわらのこうか【藤原の効果】
1000キロメートル内に二つ以上の台風または熱帯低気圧が存在するとき、相互に干渉して複雑な動きを示す現象。一方が他方に取り込まれる、回転する、追いかける、並行移動するなどの六つの振る舞いに分類される。いずれも通常とは異なる進路を取ることが多いため、進路予想が困難となる。気象学者藤原咲平が提唱。