・・・ 編中に插入された水面の漣波、風にそよぐ蘆荻のモンタージュがあるが、この插入にも一脈の俳諧がある。この無意味なような插入が最後の「自由」のシーンと照応して生きてくるように思われる。それのみならず自分はこの映画いったいの仕組みの上からもい・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・瀬田の長橋渡る人稀に、蘆荻いたずらに風に戦ぐを見る。江心白帆の一つ二つ。浅き汀に簾様のもの立て廻せるは漁りの業なるべし。百足山昔に変らず、田原藤太の名と共にいつまでも稚き耳に響きし事は忘れざるべし。湖上の景色見飽かざる間に彦根城いつしか後に・・・ 寺田寅彦 「東上記」
・・・雨催の空濁江に映りて、堤下の杭に漣れんい寄するも、蘆荻の声静かなりし昔の様尋ぬるに由なく、渡番小屋にペンキ塗の広告看板かゝりては簑打ち払う風流も似合うべくもあらず。今戸の渡と云う名ばかりは流石に床し。山谷堀に上がれば雨はら/\と降り来るも場・・・ 寺田寅彦 「半日ある記」
・・・ 朝の中長崎についた船はその日の夕方近くに纜を解き、次の日の午後には呉淞の河口に入り、暫く蘆荻の間に潮待ちをした後、徐に上海の埠頭に着いた。父は官を辞した後商となり、その年の春頃から上海の或会社の事務を監督しておられたので、埠頭に立って・・・ 永井荷風 「十九の秋」
・・・その形と蘆荻の茂りとは、偶然わたくしの眼には仏蘭西の南部を流れるロオン河の急流に、古代の水道の断礎の立っている風景を憶い起させた。 来路を顧ると、大島町から砂町へつづく工場の建物と、人家の屋根とは、堤防と夕靄とに隠され、唯林立する煙突ば・・・ 永井荷風 「放水路」
・・・然るに今日に至っては隅田川の沿岸には上流綾瀬の河口から千住に至るあたりの沮洳の地にさえ既に蒹葭蘆荻を見ることが少くなった。わたくしはかつて『夏の町』と題する拙稾に明治三十年の頃には両国橋の下流本所御船倉の岸に浮洲があって蘆荻のなお繁茂してい・・・ 永井荷風 「向嶋」
出典:青空文庫