・・・が、現実は、血色の良い藤左衛門の両頬に浮んでいる、ゆたかな微笑と共に、遠慮なく二人の間へはいって来た。が、彼等は、勿論それには気がつかない。「大分下の間は、賑かなようですな。」 忠左衛門は、こう云いながら、また煙草を一服吸いつけた。・・・ 芥川竜之介 「或日の大石内蔵助」
・・・ お絹は昨日よりもまた一倍、血色の悪い顔を挙げて、ちょいと洋一の挨拶に答えた。それから多少彼を憚るような、薄笑いを含んだ調子で、怯ず怯ず話の後を続けた。「その方がどうかなってくれなくっちゃ、何かに私だって気がひけるわ。私があの時何し・・・ 芥川竜之介 「お律と子等と」
・・・それが眉の濃い、血色鮮な丸顔で、その晩は古代蝶鳥の模様か何かに繻珍の帯をしめたのが、当時の言を使って形容すれば、いかにも高等な感じを与えていました。が、三浦の愛の相手として、私が想像に描いていた新夫人に比べると、どこかその感じにそぐわない所・・・ 芥川竜之介 「開化の良人」
・・・ そこへ濶達にはいって来たのは細い金縁の眼鏡をかけた、血色の好い円顔の芸者だった。彼女は白い夏衣裳にダイアモンドを幾つも輝かせていた。のみならずテニスか水泳かの選手らしい体格も具えていた。僕はこう言う彼女の姿に美醜や好悪を感ずるよりも妙・・・ 芥川竜之介 「湖南の扇」
・・・その声の艶に媚かしいのを、神官は怪んだが、やがて三人とも仮装を脱いで、裸にして縷無き雪の膚を顕すのを見ると、いずれも、……血色うつくしき、肌理細かなる婦人である。「銭ではないよ、みんな裸になれば一反ずつ遣る。」 価を問われた時、杢若・・・ 泉鏡花 「茸の舞姫」
・・・おとよさんは、今つい庭さきまで浮かぬ顔色できたのだけれど、みんなと三言四言ことばを交えて、たちまち元のさえざえした血色に返った。 おとよさんは、みなりも心のとおりで、すべてがしっかりときりっとして見るもすがすがしいほどである。おはまはお・・・ 伊藤左千夫 「隣の嫁」
・・・が、日本では菜食党の坊主は皆血色のイイ健康な面をしている。日本の野菜料理が衛養に富んでるのは何よりこれが第一の証拠だ、」というのが鴎外の持論であった。「牛や象を見たまえ、皆菜食党だ。体格からいったら獅子や虎よりも優秀だ。肉食でなければ営・・・ 内田魯庵 「鴎外博士の追憶」
・・・ここでおどおどしては俺もお終いだと思うと、眼の前がカッと血色に燃えて、「用って何もありません。ただ歩いているだけです」 呶鳴るように言うと、紀代子もぐっと胸に来て、「うろうろしないで早く帰りなさい」 その調子を撥ね飛ばすよう・・・ 織田作之助 「雨」
・・・らしく、絶えず不安な眼をしょぼつかせてチョコチョコ動き、律儀な小心者が最近水商売をはじめてうろたえているように見えたが、聴けばもうそれで四十年近くも食物商売をやっているといい、むっちりと肉が盛り上って血色の良い手は指の先が女のように細く、さ・・・ 織田作之助 「世相」
・・・角がとれ、愛想の良くなったことは驚くばかりだ。血色のよい頬にその必要もなさそうな微笑を絶えず泛べている。以前は縦のものを横にすることすら億劫がっていた。枕元にあるものを手を伸ばして取ろうとしなかった。それが近頃はおかしいくらい勤勉になって、・・・ 織田作之助 「道」
出典:青空文庫