・・・黒塀の下の犬くぐりを抜け、物置小屋を廻りさえすれば、犬小屋のある裏庭です。白はほとんど風のように、裏庭の芝生へ駈けこみました。もうここまで逃げて来れば、罠にかかる心配はありません。おまけに青あおした芝生には、幸いお嬢さんや坊ちゃんもボオル投・・・ 芥川竜之介 「白」
・・・保吉は神々を讃美しながら、今度は校舎の裏庭へまわった。 裏庭には薔薇が沢山ある。もっとも花はまだ一輪もない。彼はそこを歩きながら、径へさし出た薔薇の枝に毛虫を一匹発見した。と思うとまた一匹、隣の葉の上にも這っているのがあった。毛虫は互に・・・ 芥川竜之介 「保吉の手帳から」
・・・が、もう良平はその時には、先に立って裏庭を駈け抜けていた。裏庭の外には小路の向うに、木の芽の煙った雑木林があった。良平はそちらへ駈けて行こうとした。すると金三は「こっちだよう」と一生懸命に喚きながら、畑のある右手へ走って行った。良平は一足踏・・・ 芥川竜之介 「百合」
・・・ つい事の起ります少し前でございました、沢井様の裏庭に夕顔の花が咲いた時分だと申しますから、まだ浴衣を着ておりますほどのこと。 急ぎの仕立物がございましたかして、お米が裏庭に向きました部屋で針仕事をしていたのでございます。 まだ・・・ 泉鏡花 「政談十二社」
・・・秋晴の或日、裏庭の茅葺小屋の風呂の廂へ、向うへ桜山を見せて掛けて置くと、午少し前の、いい天気で、閑な折から、雀が一羽、……丁ど目白鳥の上の廂合の樋竹の中へすぽりと入って、ちょっと黒い頭だけ出して、上から籠を覗込む。嘴に小さな芋虫を一つ銜え、・・・ 泉鏡花 「二、三羽――十二、三羽」
・・・ 榎を潜った彼方の崖は、すぐに、大傾斜の窪地になって、山の裙まで、寺の裏庭を取りまわして一谷一面の卵塔である。 初路の墓は、お京のと相向って、やや斜下、左の草土手の処にあった。 見たまえ――お米が外套を折畳みにして袖に取って、背・・・ 泉鏡花 「縷紅新草」
・・・おとよはわが家の裏庭の倉の庇に洗濯をやっている。 こんな夜ふけになぜ洗濯をするかというに、風呂の流し水は何かのわけで、洗い物がよく落ちる、それに新たに湯を沸かす手数と、薪の倹約とができるので、田舎のたまかな家ではよくやる事だ。この夜おと・・・ 伊藤左千夫 「春の潮」
・・・さして居た、見ると兼公の家も気持がよかった、軒の下は今掃いた許りに塵一つ見えない、家は柱も敷居も怪しくかしげては居るけれど、表手も裏も障子を明放して、畳の上を風が滑ってるように涼しい、表手の往来から、裏庭の茄子や南瓜の花も見え、鶏頭鳳仙花天・・・ 伊藤左千夫 「姪子」
・・・と、その家の人はいって、裏庭に案内しました。 大きな無花果の木に、実がいっぱいなっていたのです。男は、驚きました。かつ当惑しました。しかたがなく、掘って、車に載せて帰りました。 しかし、それは、木を移す時期でなかったので、実もしなび・・・ 小川未明 「ある男と無花果」
・・・ちょうど温かい心もちが無いのではありませんが、機転のきかない妻君が、たまたまの御客様に何か薦めたい献りたいと思っても、工合よく思い当るものが無いので、仕方なしに裏庭の圃のジャガイモを塩ゆでにして、そして御菓子にして出しました、といったような・・・ 幸田露伴 「馬琴の小説とその当時の実社会」
出典:青空文庫