・・・カーテンを上げて覗いてみると、人気のない深夜の裏通りを一台の雪橇が辷って行く、と思う間もなく、もう町のカーヴを曲って見えなくなってしまった。 子供の時分にナショナルリーダーを教わったときに生れてはじめて雪橇というものの名を聞き覚え、その・・・ 寺田寅彦 「追憶の冬夜」
・・・ウンテル・デン・リンデンの裏通りのベーレン街にあったこの劇場のレビューは、一つの出しものを半年も打ちつづけていて、それでいて切符は数日前までにみんな売切れになっていた。世界の都でなければあり得ない現象である。一年半の滞在中たった一度だけはい・・・ 寺田寅彦 「マーカス・ショーとレビュー式教育」
・・・しかし大通りでないその裏通りの呉服屋などの店先には、時たま純日本的に涼しい品を見かけることがある。江戸時代から明治時代にかけての涼味が、まだ東京の片すみのどこかに少しは残っているものと見える。・・・ 寺田寅彦 「涼味数題」
・・・裳川先生はその頃文部省の官吏で市ヶ谷見附に近い四番町の裏通りに住んでおられた。玄関から縁側まで古本が高く積んであったのと、床の間に高さ二尺ばかりの孔子の坐像と、また外に二つばかり同じような木像が置かれてあった事を、わたくしは今でも忘れずにお・・・ 永井荷風 「十六、七のころ」
・・・昔より大隠のかくれる町中の裏通り、堀割に沿う日かげの妾宅は即ちこの目的のために作られた彼が心の安息所であったのだ。二 妾宅は上り框の二畳を入れて僅か四間ほどしかない古びた借家であるが、拭込んだ表の格子戸と家内の障子と唐紙とは・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・ 一本は真正面に、今一本は真左へ、どちらも表通りと裏通りとの関係の、裏路の役目を勤めているのであったが、今一つの道は、真右へ五間ばかり走って、それから四十五度の角度で、どこの表通りにも関りのない、金庫のような感じのする建物へ、こっそりと・・・ 葉山嘉樹 「淫賣婦」
・・・春らしい柔かい雪が細い別荘の裏通りを埋め、母衣に触った竹の枝からトトトト雪が俥の通った後へ落ちる。陽子はさし当り入用な机、籐椅子、電球など買った。四辺が暗くなりかけに、借部屋に帰った。上り端の四畳に、夜具包が駅から着いたままころがしてある。・・・ 宮本百合子 「明るい海浜」
・・・ 裏通りの彼の人の叔父の家へ行けばすぐわかる事だけれ共、人をやるほどの事でもなしと思って、「おととい」出したS子への手紙の返事を待つ気持になる。 飛石の様に、ぽつりぽつりと散って居る今日の気持は自分でも変に思う位、落つけない。 ・・・ 宮本百合子 「秋風」
・・・に撮されているようなごろた石を鋪道にしたような裏通りまで、カフェーの前あたりはもとより往来のあっちからこっち側へと一列ながら花電球も吊るされ、青い葉を飾った音楽師の台が一つの通りに一つはつくられて、街という街は踊る男女の群集で溢れる。 ・・・ 宮本百合子 「十四日祭の夜」
・・・ 裏通りは藤堂さんの森をめぐって、細い通が通っており、その道を歩けばからたちの生垣越しに、畑のずいきや莓がよく見えた。だから莓の季節には、からたちの枝を押しわけて、子供が莓盗人に這いこんだりしたが、夜になれば淋しい淋しい道で、藤堂さんの・・・ 宮本百合子 「からたち」
出典:青空文庫