・・・然し、その彼方にいる彼女をどうして見失うことがあろう。雄鳩は、始めて雌を見たと思った時より、更に情熱のこもった歓びで、「グウックー、グウックー」と喉を鳴らした。彼は嬉しさと慕わしさとで脚を高くあげつつ鏡に近づいた。同時に向うからも近・・・ 宮本百合子 「白い翼」
・・・表面的の事象から先ず反撥心に支配されて、深い生活の内面、或はよりよい事実を見失うのは、どんなものに対しても、我々の執るべき態度ではあるまいと思わずにはいられないのです。「日本人の理想に吻合しない西洋人の家庭生活」を読み終ってから、私の心・・・ 宮本百合子 「男女交際より家庭生活へ」
・・・性的な色彩をもった随筆がうかがわれたが、その中には、一応随筆の体裁をもちながらも、その奥には何となく魚のような背骨をひそめていて、小さくても弱くても、人間の生活と芸術のまともさを守り、その希望の閃きを見失うまいとした随筆もあった。評論も小説・・・ 宮本百合子 「はしがき(『女靴の跡』)」
・・・その客の群は切れたり続いたりはするが、切れた時でも前の人の後影を後の人が見失うようなことはない。僕も歯の歪んだ下駄を引き摩りながら、田の畔や生垣の間の道を歩いて、とうとう目的地に到着した。 ここまで来る道で、幾らも見たような、小さい屋敷・・・ 森鴎外 「百物語」
出典:青空文庫