・・・ 渚はどこも見渡す限り、打ち上げられた海草のほかは白じらと日の光に煙っていた。そこにはただ雲の影の時々大走りに通るだけだった。僕等は敷島を啣えながら、しばらくは黙ってこう言う渚に寄せて来る浪を眺めていた。「君は教師の口はきまったのか・・・ 芥川竜之介 「海のほとり」
・・・「大日おおひるめむち! 大日貴! 大日貴!」「新しい神なぞはおりません。新しい神なぞはおりません。」「あなたに逆うものは亡びます。」「御覧なさい。闇が消え失せるのを。」「見渡す限り、あなたの山、あなたの森、あなたの川、あ・・・ 芥川竜之介 「神神の微笑」
・・・佐藤の畑はとにかく秋耕をすましていたのに、それに隣った仁右衛門の畑は見渡す限りかまどがえしとみずひきとあかざととびつかとで茫々としていた。ひき残された大豆の殻が風に吹かれて瓢軽な音を立てていた。あちこちにひょろひょろと立った白樺はおおかた葉・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・ここから見渡すことのできる一面の土地は、丈け高い熊笹と雑草の生い茂った密林でした。それが私の父がこの土地の貸し下げを北海道庁から受けた当時のこの辺のありさまだったのです。食料品はもとよりすべての物資は東倶知安から馬の背で運んで来ねばならぬ交・・・ 有島武郎 「小作人への告別」
・・・ 目を上げて見ると、見渡す限り、山はその戸帳のような色になった。が、やや艶やかに見えたのは雨が晴れた薄月の影である。 遠くで梟が啼いた。 謙造は、その声に、額堂の絵を思出した、けれども、自分で頭をふって、斉しく莞爾した。 そ・・・ 泉鏡花 「縁結び」
・・・天色沈々として風騒がず。見渡すお堀端の往来は、三宅坂にて一度尽き、さらに一帯の樹立ちと相連なる煉瓦屋にて東京のその局部を限れる、この小天地寂として、星のみひややかに冴え渡れり。美人は人ほしげに振り返りぬ。百歩を隔てて黒影あり、靴を鳴らしてお・・・ 泉鏡花 「夜行巡査」
成東の停車場をおりて、町形をした家並みを出ると、なつかしい故郷の村が目の前に見える。十町ばかり一目に見渡す青田のたんぼの中を、まっすぐに通った県道、その取付きの一構え、わが生家の森の木間から変わりなき家倉の屋根が見えて心も・・・ 伊藤左千夫 「紅黄録」
・・・ 満月ではなかったが、一点の曇りもない冴えた月夜で、丘の上から遠く望むと、見渡す果もなく一面に銀泥を刷いたように白い光で包まれた得もいわれない絶景であった。丁度秋の中頃の寒くも暑くもない快い晩で、余り景色が好いので二人は我知らず暫らく佇・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・ 青い青い海はどうどうと波高く響いています。見渡すとはてしもない。その後、海にいって船乗りになった龍雄は、いま、どこを航海していることでしょう。もう、彼は、故郷には帰ってこなかったのです。・・・ 小川未明 「海へ」
・・・田も圃も、見渡すかぎり黄色に実っていました。「なるほど、みんな熟していますね。しかし、私たちがあれをとって食べたら、人間が怒るでありましょう。」「だれが、それを見ているものですか。かってに降りて、食べるがいい。」と、くまはいいました・・・ 小川未明 「汽車の中のくまと鶏」
出典:青空文庫