・・・訓練のない見物人は潮のように仁右衛門と馬とのまわりに押寄せた。 仁右衛門の馬は前脚を二足とも折ってしまっていた。仁右衛門は惘然したまま、不思議相な顔をして押寄せた人波を見守って立ってる外はなかった。 獣医の心得もある蹄鉄屋の顔を群集・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・其水溜の中にノンキらしい顔をした見物人が山のように集っていた。伊達巻の寝巻姿にハデなお召の羽織を引掛けた寝白粉の処班らな若い女がベチャクチャ喋べくっていた。煤だらけな顔をした耄碌頭巾の好い若い衆が気が抜けたように茫然立っていた。刺子姿の消火・・・ 内田魯庵 「灰燼十万巻」
・・・あの会合は本尊が私設外務大臣で、双方が探り合いのダンマリのようなもんだったから、結局が百日鬘と青隈の公卿悪の目を剥く睨合いの見得で幕となったので、見物人はイイ気持に看惚れただけでよほどな看功者でなければドッチが上手か下手か解らなかった。あア・・・ 内田魯庵 「二葉亭追録」
・・・そして二枚の大画が並べて掲げてある前は最も見物人が集っている。二枚の大画は言わずとも志村の作と自分の作。 一見自分は先ず荒胆を抜かれてしまった。志村の画題はコロンブスの肖像ならんとは! しかもチョークで書いてある。元来学校では鉛筆画ばか・・・ 国木田独歩 「画の悲み」
・・・と巡査が言って何心なく土手を見ると、見物人がふえて学生らしいのもまじっていた。 この時赤羽行きの汽車が朝日をまともに車窓に受けて威勢よく走って来た。そして火夫も運転手も乗客も、みな身を乗り出して薦のかけてある一物を見た。 この一物は・・・ 国木田独歩 「窮死」
・・・ 中根へ行って見るともう人がよほど集まっていた。見物人は僕一人、少年も僕一人、あとは三十から上の人ばかりで十人ばかりみんな僕の故郷では上流の人たちであった。 第一中根の叔父が銀行の頭取、そのほかに判事さんもいた、郡長さんもいた、狭い・・・ 国木田独歩 「鹿狩り」
・・・などと、旗取り競争第一着、駿足の少年にも似たる有頂天の姿には、いまだ愛くるしさも残りて在り、見物人も微笑、もしくは苦笑もて、ゆるしていたが、一夜、この子は、相手もあろに氷よりも冷い冷い三日月さまに惚れられて、あやしく狂い、「神も私も五十歩百・・・ 太宰治 「二十世紀旗手」
・・・いったいに病身らしくて顔色も悪く、なんとなく陰気な容貌をしていた。見物人中の学生ふうの男が「失礼ですが、貴嬢は毎日なんべんとなく、そんな恐ろしい事がらを口にしている、それで神経をいためるような事はありませんか」と聞くと、なんとも返事しないで・・・ 寺田寅彦 「案内者」
・・・いわんやせっかく案内者が引っぱり廻しても肝心の見物人が盲目では何の甲斐もない。 案内者のいう所がすべて正しく少しの誤謬がないと仮定しても、そればかりに頼る時は自身の観察力や考察力を麻痺させる弊は免れ難い。何でも鵜呑みにしては消化されない・・・ 寺田寅彦 「科学上における権威の価値と弊害」
・・・別荘の令嬢たちも踊り出て中には振袖姿の雛様のようなのもあった。見物人もおおぜい集まって来た。中には遠くから自動車で見に来る人もあるらしかった。 年の行かない令嬢が振袖に織物の帯を胸高にしめて踊るのがなんと言ってもこういう民族的の踊りには・・・ 寺田寅彦 「沓掛より」
出典:青空文庫