・・・韋駄天を叱する勢いよく松が端に馳け付くれば旅立つ人見送る人人足船頭ののゝしる声々。車の音。端艇涯をはなるれば水棹のしずく屋根板にはら/\と音する。舷のすれあう音ようやく止んで船は中流に出でたり。水害の名残棒堤にしるく砂利に埋るゝ蘆もあわれな・・・ 寺田寅彦 「東上記」
・・・わたくしが電報配達人の行衛を見送るかなたに、初て荒川放水路の堤防らしい土手を望んだ時には、その辺の養魚池に臨んだ番小屋のような小家の窓には灯影がさして、池の面は黄昏れる空の光を受けて、きらきらと眩く輝き、枯蘆と霜枯れの草は、かえって明くなっ・・・ 永井荷風 「元八まん」
・・・溝川の小橋をわたりながら、鳴き過る雁の影を見送ることもあった。犬に吠えられたり、怪しげな男に後をつけられて、二人ともども息を切って走ったこともあった。道端に荷をおろしている食物売の灯を見つけ、汁粉、鍋焼饂飩に空腹をいやし、大福餅や焼芋に懐手・・・ 永井荷風 「雪の日」
・・・白い流れの際立ちて目を牽くに付けて、夜鴉の城はあの見当だなと見送る。城らしきものは霞の奥に閉じられて眸底には写らぬが、流るる銀の、烟と化しはせぬかと疑わるまで末広に薄れて、空と雲との境に入る程は、翳したる小手の下より遙かに双の眼に聚まってく・・・ 夏目漱石 「幻影の盾」
・・・遂に「見送るや酔のさめたる舟の月」という句が出来たのである。誠に振わぬ句であるけれど、その代り大疵もないように思うて、これに極めた。 今まで一句を作るにこんなに長く考えた事はなかった。余り考えては善い句は出来まいが、しかしこれがよほど修・・・ 正岡子規 「句合の月」
・・・一同退場 医師これを見送る。 宮沢賢治 「植物医師」
・・・ 縞の小さいエプロンをかけた彼女が食器を積んだ大盆を抱えて不本意らしく台所に出てゆく姿を見送ると、彼は思わず眉を顰めて頭を振った。 都合の悪いのは今朝に限って、寝室にいる彼に明るい夜の台所の模様がはっきり、手にとるように判ることであ・・・ 宮本百合子 「或る日」
・・・ちょうど、育て上げた息子が嫁をつれて出てゆくのを見送る母親の心のように。 厭い わたくしは、わたくしの書くものを、変な興味をもって読まれるのが何より厭だ。わたくしも人の作品を読む時、そういう興味をもつことはある・・・ 宮本百合子 「感情の動き」
・・・出て行くとき彼女は長い廊下を見送る看護婦たちにとりまかれながら、いささかの羞ずかしさのために顔を染めてはいたものの、傲然とした足つきで出ていった、それは丁度、長い酷使と粗食との生活に対して反抗した模範を示すかのように。その出て行くときの彼女・・・ 横光利一 「花園の思想」
・・・投げた烟草の一点の火が輪をかいて飛んで行くのを見送る目には、この外の景色が這入った。如何にも退屈な景色である。腰懸の傍に置いてある、読みさしの、黄いろい表紙の小説も、やはり退屈な小説である。口の内で何かつぶやきながら、病気な弟がニッツアから・・・ 著:リルケライネル・マリア 訳:森鴎外 「白」
出典:青空文庫