・・・これは夢でないかと驚きまして、さっそく鏡の前にいって映った姿を見ますと、真っ黒なつやつやした髪の毛がたくさんになって、そのうえ自分の顔ながら、見違えるように美しくなっていました。少女は、これを見ると、いままで泣いていた悲しみは忘れられて、思・・・ 小川未明 「夕焼け物語」
・・・ 三日経つと家の中は見違えるほど綺麗になった。婆さんは、じつは田舎の息子がと自分から口実を作って暇をとった。ここは地獄の三丁目、の唄が朝夕きかれた。よく働いた。そんなお君の帰ってきたことを金助は喜んだが、この父は亀のように無口であった。・・・ 織田作之助 「雨」
・・・これでも人がはいってピンと片づけてみなせ、本当に見違えるようになるで……」 久助爺はけろりとした顔つきでこう繰返すので、耕吉は気乗りはしなかったが、結局これに極めるほかなかった。…… 月々十円ばかしの金が、借金の利息やら老父の飲代や・・・ 葛西善蔵 「贋物」
・・・しかし画架からはずして長押の上に立てかけて下から見上げるとまるで見違えるような変な顔になっているのでびっくりする。どうかすると片方の小鼻が途方もなくたれ下がっているのを手近で見る時には少しも気づかなかったりする。 不思議な事にはこのよう・・・ 寺田寅彦 「自画像」
・・・ 帰りに汽車の窓から見た景色は行きとは見違えるほどいっそう美しかった。すべてのものが夕日を浴びて輝いている中にも、分けて谷の西向きの斜面の土の色が名状のできない美しいものに見えた。線路に沿うたとある森影から青い洋服を着て、ミレーの種まく・・・ 寺田寅彦 「写生紀行」
・・・実際だんだんにやせて来た時とは見違えるように細長くなるようであった。歩くにもなんだかひょろひょろするようだし、すわっている時でもからだがゆらゆらしていた。そして人間がするように居眠りをするのであった。猫が居眠りをするという事実が私には珍しか・・・ 寺田寅彦 「ねずみと猫」
・・・近所の町は見違えるほど変っていたが古寺の境内ばかりは昔のままに残されていた。私は所定めず切貼した本堂の古障子が欄干の腐った廊下に添うて、凡そ幾十枚と知れず淋しげに立連った有様を今もってありありと眼に浮べる。何という不思議な縁であろう、本堂は・・・ 永井荷風 「伝通院」
・・・春らしい日の光が稀にはほっかり射すようになって麦がみずみずしい青さを催して来た頃犬は見違える程大きくなった。毛が赤いので赤と呼んだ。太十が出る時は赤は屹度附いて出る。附いて行くのではなくて二町も三町も先へ駈けて行く。岐路があると赤はけろりと・・・ 長塚節 「太十と其犬」
・・・そしてあすの朝は、見違えるように緑いろになったオリザの株を手でなでたりするだろう。まるで夢のようだと思いながら、雲のまっくらになったり、また美しく輝いたりするのをながめておりました。ところが短い夏の夜はもう明けるらしかったのです。電光の合間・・・ 宮沢賢治 「グスコーブドリの伝記」
・・・ 小半時間もかかって、やっと、しゃぼんで洗いとると今までとは見違える様に奇麗になって、赤ちゃけて居た髪もすっかりつやがよくなって来た。 よっぽど気持がいいものと見えて目をつぶって、フンとも云わないで居たのがその勢で、すっかり眠ってし・・・ 宮本百合子 「一日」
出典:青空文庫