・・・髪の薄い天窓を真俯向けにして、土瓶やら、茶碗やら、解かけた風呂敷包、混雑に職員のが散ばったが、その控えた前だけ整然として、硯箱を右手へ引附け、一冊覚書らしいのを熟と視めていたのが、抜上った額の広い、鼻のすっと隆い、髯の無い、頤の細い、眉のく・・・ 泉鏡花 「朱日記」
・・・いわゆる「カフスに書いた覚え書き」によって撮影を進行させ、出たとこ勝負のショットをたくさんに集積した上で、その中から截断したカッティングをモンタージュにかけて立派なものを作ることも可能であろうが、経済的の考慮から、そういう気楽な方法はいつで・・・ 寺田寅彦 「映画芸術」
・・・ もし、この一編の覚え書きのような未定稿が、映画の製作者と観賞者になんらかの有用な暗示を提供することができれば大幸である。 寺田寅彦 「映画の世界像」
・・・おそらく夕飯後の静かな時間などに夫人を相手にいろいろのことを質問したりして、その覚え書きのようなつもりで紙片の端に書きとめたのではないかという想像が起こってくる。「船幽霊」の歌の上に黒猫が描いてあったり、「離魂病」のところに奇妙な蛾の絵・・・ 寺田寅彦 「小泉八雲秘稿画本「妖魔詩話」」
・・・ただ自分でほんとうにおもしろいと感じたことの覚え書きか、さもなければ譬喩か説明のために便利な道具として使うための借りものに過ぎない。しかし、そうかと言ってその結果がいくぶんか科学知識普及に役立つことになってもそれはさしつかえはないであろうと・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
・・・科学の方則とは畢竟「自然の記憶の覚え書き」である。自然ほど伝統に忠実なものはないのである。 それだからこそ、二十世紀の文明という空虚な名をたのんで、安政の昔の経験を馬鹿にした東京は大正十二年の地震で焼払われたのである。 こういう災害・・・ 寺田寅彦 「津浪と人間」
・・・ 実際短い詩に定型がなかったら「手帳の覚え書き」との区別はつきにくい。しかし「古池に蛙が飛び込んで水音がした」がなぜ散文で、「古池や蛙飛び込む水の音」がなぜ詩であるか。それは無定形と定形との相違である。しからば前者の五、九、七、を一つの・・・ 寺田寅彦 「俳句の精神」
・・・それで、多少でもまだ事実の記憶の消え残っている今のうちに、あらましのことだけをなるべくザハリッヒな覚え書きのような形で書き留めておくことにしようと思う。 欧州大戦の終末に近いある年のたぶん五月初めごろであったかと思う。ある朝当時自分の勤・・・ 寺田寅彦 「B教授の死」
・・・ 始めのうちはただ読みっ放しにしていたが、あまり面白いから途中からは時々手帳へ覚え書きに書き止めておいた。その備忘録の中から少しばかりの閑談の種を拾い出してここに紹介してみようと思う。以下に挙げてある頁数は、エヴェリーマンス・ライブラリ・・・ 寺田寅彦 「マルコポロから」
岩佐又兵衛作「山中常盤双紙」というものが展覧されているのを一見した。そのとき気付いたことを左に覚書にしておく。 奥州にいる牛若丸に逢いたくなった母常盤が侍女を一人つれて東へ下る。途中の宿で盗賊の群に襲われ、着物を剥がれ・・・ 寺田寅彦 「山中常盤双紙」
出典:青空文庫