・・・そしてそんな女らしく、とくに誰か一人と親しく口を利くようなことはせず、通って来る客の誰ともまんべんなく口を利いていた。ところが、そんな幾子がどうした風の吹き廻しであろうか、その日は彼にばかし話しかけて来た。彼はすっかり悦に入ってしまった。・・・ 織田作之助 「四月馬鹿」
・・・実の母が死んですぐその年に義母が来たのだが、それからざっと二十年の間私たちは大部分旅で暮してきて、父とも親しく半年といっしょに暮した憶えもなく過してきたようなわけで、ようようこれからいっしょに暮せる時が来た、せめて二三年は生きてもらって好き・・・ 葛西善蔵 「父の葬式」
・・・この径ではそういった矮小な自然がなんとなく親しく――彼らが陰湿な会話をはじめるお伽噺のなかでのように、眺められた。また径の縁には赤土の露出が雨滴にたたかれて、ちょうど風化作用に骨立った岩石そっくりの恰好になっているところがあった。その削り立・・・ 梶井基次郎 「筧の話」
・・・まだ信子を知らなかった峻には、お祖母さんが呼び違えるたびごとに、信子という名を持った十四五の娘が頭に親しく想像された。 勝子 峻は原っぱに面した窓に倚りかかって外を眺めていた。 灰色の雲が空一帯を罩めていた。それ・・・ 梶井基次郎 「城のある町にて」
・・・何省書記官正何位という幾字は、昔気質の耳に立ち優れてよく響き渡り、かかる人に親しく語らうを身の面目とすれば、訪われたるあとよりすぐに訪い返して、ひたすらになお睦まじからんことを願えり。才物だ。なかなかの才物だとしきりに誉め称やし、あの高ぶら・・・ 川上眉山 「書記官」
・・・もっともこの二人は、それぞれ東京で職を持って相応に身を立てていますから、年に二度三度会いますが、私とは方面が違うので、あまり親しく往来はしないのです。けれども、会えばいつも以前のままの学友気質で、無遠慮な口をきき合うのです。この日も鷹見は、・・・ 国木田独歩 「あの時分」
・・・忠義思いもよらず候兄はそなたが上をうらやみせめて軍夫に加わりてもと明け暮れ申しおり候ここをくみ候わば一兵士ながらもそなたの幸いはいかばかりならんまた申すまでもなけれど上長の命令を堅く守り同列の方々とは親しく交わり艱難を互いにたすけ合い心を一・・・ 国木田独歩 「遺言」
二葉亭主人の逝去は、文壇に取っての恨事で、如何にも残念に存じます。私は長谷川君とは対面するような何等の機会をも有さなかったので、親しく語を交えた事はありませんが、同君の製作をとおして同君を知った事は決して昨今ではありません。抑まだ私な・・・ 幸田露伴 「言語体の文章と浮雲」
・・・ 平生わたくしを愛してくれた人びと、わたくしに親しくしてくれた人びとは、かくあるべしと聞いたときに、どんなにその真疑をうたがい、まどったであろう。そして、その真実なるをたしかめえたときに、どんなに情けなく、あさましく、かなしく、恥ずかし・・・ 幸徳秋水 「死刑の前」
・・・こんな風にして、皆親しく往来するようになったのだが、兎に角文学界というものを起そうとしたのは、星野君兄弟と、平田禿木君とで、殊に男三郎君は、大学へ行って工科でも択ぼうという位の綿密な、落ち着いた人だったから、殆んど自分では表立って何も発表し・・・ 島崎藤村 「北村透谷の短き一生」
出典:青空文庫