・・・と言いながら、そろそろ梯子を上り始めて、私はその親子の姿を見て、ああ、あれだから、お母さんも佐吉さんを可愛くてたまらないのだ。佐吉さんがどんな我儘なふしだらをしても、お母さんは兄さんと喧嘩してまでも、末弟の佐吉さんを庇うわけだ。私は花火の二・・・ 太宰治 「老ハイデルベルヒ」
・・・ 果てもない氷海を張りつめた流氷のモザイクの一片に乗っかって親子連れの白熊が不思議そうにこっちをながめている。おそらく生まれて始めて汽船というものに出会って、そうしてその上にうごめく人影を奇妙な鳥類だとでも思ってまじまじとながめているの・・・ 寺田寅彦 「空想日録」
・・・道太はそこへも訪ねたことがあったが、廓を出てからの親子は何となし寂しげに見えた。「この家も古いもんや」辰之助は庭先の方に、道太と向かいあって坐りながら言ったが、古びていたけれど、まだ内部はどうもなっていなかった。以前廂なぞ傾いでいたこと・・・ 徳田秋声 「挿話」
・・・ それでも、職長仲間の血縁関係や、例えば利平のように、親子で勤めている者は、その息子を会社へ送り込んで、どうやら、二百人足らずのスキャップで、一方争議団を脅かすため、一面機械を錆つかせない程度には、空の運転をしていたのである。「君、・・・ 徳永直 「眼」
・・・その時今まで激論をしていた親子が、急に喧嘩を忘れて、互に相援けて門外に逃げるところを小説にかく。すると書いた人は無論読む人もなるほどさもありそうだと思う。すなわちこの小説はある地位にある親子の関係を明かにしたと云う点において、作者及び読者の・・・ 夏目漱石 「文芸の哲学的基礎」
・・・骨肉の情いずれ疎なるはなけれども、特に親子の情は格別である、余はこの度生来未だかつて知らなかった沈痛な経験を得たのである。余はこの心より推して一々君の心を読むことが出来ると思う。君の亡くされたのは君の初子であった、初子は親の愛を専らにするが・・・ 西田幾多郎 「我が子の死」
・・・人あり、頗る西洋の文明を悦び、一切万事改進進歩を気取りながら、其実は支那台の西洋鍍金にして、殊に道徳の一段に至りては常に周公孔子を云々して、子女の教訓に小学又は女大学等の主義を唱え、家法最も厳重にして親子相接するにも賓客の如く、曾て行儀を乱・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・ 一寸親子の愛情に譬えて見れば、自分の児は他所の児より賢くて行儀が可いと云う心持ちは、濁って垢抜けのしない心持ちである。然るに垢抜けのした精美された心持ちで考えると、自分の児は可愛いには違いないが、欠点も仲々ある、どうしても他所の児の方・・・ 二葉亭四迷 「私は懐疑派だ」
・・・鮓を圧す石上に詩を題すべく緑子の頭巾眉深きいとほしみ大矢数弓師親子も参りたる時鳥歌よむ遊女聞ゆなる麻刈れと夕日此頃斜なる「たり」「なり」と言わずして「たる」「なる」と言うがごとき、「べし」と言わずして「べく」・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・あなたさまは私ども親子の大恩人でございます」 ホモイは、その赤いものの光で、よくその顔を見て言いました。 「あなた方は先頃のひばりさんですか」 母親のひばりは、 「さようでございます。先日はまことにありがとうございました。せ・・・ 宮沢賢治 「貝の火」
出典:青空文庫