・・・幾らあなたでも人間のお詞で、そんな事を出来そうとは思召しますまい。」「わたくしは、あたたの教で禁じてある程、自分の意志のままに進んで参って、跡を振り返っても見ませんでした。それはわたくし好く存じています。しかしどなただって、わたくしに、・・・ 著:オイレンベルクヘルベルト 訳:森鴎外 「女の決闘」
・・・それに学問がないから虐めることが出来ないなどというのは、如何にも可怪しな言葉である。私は何も博士の家庭に立入って批評しようとするものではないけれども、若しこれが本当の母であったならば、又本当の母でなくとも愛というものがあったならば、如何に博・・・ 小川未明 「愛に就ての問題」
・・・と腹立しそうに言ったが、その辞も私には分らなかった。八 その翌朝、同宿の者が皆出払うのを待って、銭占屋は私に向って、「ねえ君、妙な縁でこうして君と心安くしたが、私あ今日向地へ渡ろうと思うからね、これでいよいよお別れだ。お・・・ 小栗風葉 「世間師」
・・・私は大気療法をしろと言った医者の言葉を想いだし、胸の肉の下がにわかにチクチク痛んで来た、と思った。 まず廊下に面した障子をあけた。それから廊下に出て、雨戸をあけようとした。暫らくがたがたやってみたが、重かった。雨戸は何枚か続いていて、端・・・ 織田作之助 「秋深き」
・・・前、彼がまだ独りでいて、斯うした場所を飲み廻りほつき歩いていた時分の生活とても、それは決して今の生活と較べて自由とか幸福とか云う程のものではなかったけれど、併しその時分口にしていた悲痛とか悲惨とか云う言葉――それ等は要するに感興というゴム鞠・・・ 葛西善蔵 「子をつれて」
・・・ これは毎日おきまりの様に聞く言葉でした。そして、医師は病人の苦しんでいるのを見かねて注射をします。再びまた氷で心臓を冷すことになりました。 その頃から、兄を呼べとか姉を呼べとか言い出しました。私が二人ともそれぞれ忙がしい体だからと・・・ 梶井久 「臨終まで」
・・・彼はビールを一と飲みするとまた言葉をついで、「その崖の上へ一人で立って、開いている窓を一つ一つ見ていると、僕はいつでもそのことを憶い出すんです。僕一人が世間に住みつく根を失って浮草のように流れている。そしていつもそんな崖の上に立って人の・・・ 梶井基次郎 「ある崖上の感情」
・・・と布袋殿は言葉を残しぬ。ぜひ私の方へも、と辰弥も挨拶に後れず軽く腰を屈めつ。 かくして辰弥は布袋の名の三好善平なることを知りぬ。娘は末の子の光代とて、秘蔵のものなる由も事のついでに知りぬ。三好とは聞き及びたる資産家なり。よし。大いによし・・・ 川上眉山 「書記官」
・・・という言葉の悲哀を、つくづく身に感じます。 ツイ近ごろのことです、私は校友会の席で、久しぶりで鷹見や上田に会いました。もっともこの二人は、それぞれ東京で職を持って相応に身を立てていますから、年に二度三度会いますが、私とは方面が違うので、・・・ 国木田独歩 「あの時分」
・・・という古い言葉はその味わいをいったものであろう。 アメリカの映画俳優たちのように、夫婦の離合の常ないのはなるほど自由ではあろうが、夫婦生活の真味が味わえない以上は人生において、得をしているか、失っているかわからない。色情めいた恋愛の陶酔・・・ 倉田百三 「愛の問題(夫婦愛)」
出典:青空文庫