・・・うに私は元来、あの美談の偉人の心懐には少しも感服せず、かえって無頼漢どもに対して大いなる同情と共感を抱いていたつもりであったが、しかし、いま眼前に、この珍客を迎え、従来の私の木村神崎韓信観に、重大なる訂正をほどこさざるを得なくなって来たよう・・・ 太宰治 「親友交歓」
・・・言葉を訂正することなど、死んでも恥かしくてできないのだった。私は夢中で呟いた。「今月末が〆切なのです。いそがしいのです。」 私の運命がこのとき決した。いま考えても不思議なのであるが、なぜ私は、あのような要らないことを呟かねばならなか・・・ 太宰治 「断崖の錯覚」
・・・のタを消してトに訂正してあったりするのをしみじみ見ていると、当時における八雲氏の家庭生活とか日常の心境とかいうものの一面がありありと想像されるような気がしてくるのである。おそらく夕飯後の静かな時間などに夫人を相手にいろいろのことを質問したり・・・ 寺田寅彦 「小泉八雲秘稿画本「妖魔詩話」」
・・・ボーアをまちがえてポーア/\と云っているのが気になるので、それだけは訂正しておいた。 ボーアの理論の始めて発表されたのは一九一三年であったから、もうちょうど一と昔前の事である。その説はすぐに我邦の専門家の間にも伝えられ、考究され、紹介さ・・・ 寺田寅彦 「雑記(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・という小品の中に、港内に碇泊している船の帆柱に青い火が灯っているという意味のことを書いてあるのに対して、船舶の燈火に関する取締規則を詳しく調べた結果、本文のごとき場合は有り得ないという結論に達したから訂正したらいいだろうと云ってよこした人が・・・ 寺田寅彦 「随筆難」
・・・T氏の傘を見て This no good. というと、また一人が This good, but that the best. と訂正した。 いわゆる日本街を人力車で行った。道路にのぞんだヴェランダに更紗の寝巻のようなものを着た色の黒い女・・・ 寺田寅彦 「旅日記から(明治四十二年)」
・・・ 下手な論文を書いて見ていただくと、実に綿密に英語の訂正はもちろん、内容の枝葉の点に至るまで徹底的に修正されるのであった。一度鉛筆で直したのを、あとで、インキでちゃんと書き入れて、そうして最後に消しゴムですっかり鉛筆を消し取って、そのち・・・ 寺田寅彦 「田丸先生の追憶」
・・・になるようなものの言い方をした。自分はその場で重吉の「また帰ってきます」を「帰ってくるつもりです」に訂正してやりたかったけれどもそう思い込んでいるものの心を、無益にざわつかせる必要もないからそれはそれなりにしておいて、じゃあのことはどうする・・・ 夏目漱石 「手紙」
・・・いわんや二三日前まで『文学評論』の訂正をしていて、頭が痺れたように疲れているから、早速に分別も浮びません。それに似寄った事をせんだってごく簡略に『秀才文壇』の人に話してしまった。あいにくこの方面も種切れです。が、まあせっかくだから――いつお・・・ 夏目漱石 「文壇の趨勢」
・・・ オオビュルナン先生は最後に書いた原稿紙三枚を読み返して見て、あちこちに訂正を加え、ある詞やある句を筆太に塗沫した。先生の書いているのは、新脚本では無い。自家の全集の序である。これは少々難物だ。 余計な謙遜はしたくない。骨を折って自・・・ 著:プレヴォーマルセル 訳:森鴎外 「田舎」
出典:青空文庫