・・・庭には黄な花、赤い花、紫の花、紅の花――凡ての春の花が、凡ての色を尽くして、咲きては乱れ、乱れては散り、散りては咲いて、冬知らぬ空を誰に向って誇る。 暖かき草の上に二人が坐って、二人共に青絹を敷いた様な海の面を遙かの下に眺めている。二人・・・ 夏目漱石 「幻影の盾」
・・・ もう、水の中に入らねばしのげないという日盛りの暑さでもないのに、夕方までグラウンドで練習していた野球部の連中が、泥と汗とを洗い流し、且つは元気をも誇るために、例の湖へ出かけて泳いだ。 ところがその中の一人が、うまく水中に潜って見せ・・・ 葉山嘉樹 「死屍を食う男」
・・・ で、彼は水夫等と一緒にしていた「誇るべき仕事」から、見習の仕事に帰るために、夕飯の準備をしに、水夫室へ入った。 ギラギラする光の中から、地下室の監房のような船室へ、いきなり飛び込んだ彼は、習慣に信頼して、ズカズカと皿箱をとりに奥へ・・・ 葉山嘉樹 「労働者の居ない船」
・・・故に、万のことに付ても夫を先立て我身を後にし、我為せる事に能事ある迚も誇る心なく、亦悪事ありて人にいはるゝ迚も争はずして早く過を改め、重て人に謂れざる様に我身を慎み、又人に侮れても腹立憤ることなく、能く堪て物を恐慎べし。如斯心得なば夫婦の中・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・前日の事、すでにすでにかくの如し、後日の事、またまさにかくの如くなるべければ、我が党の士、自から阿らず、自から曲げず、己に誇ることなく、人を卑むことなく、夙夜業を勉めて、天の我にあたうるところのものを慢にすることなくんば、あにただ社中の慶の・・・ 福沢諭吉 「中元祝酒の記」
・・・アメリカの漫画によくあるように男が女からかけられたエプロンをかけて、女の代りに子供のオムツも洗ってやる、と誇ることだろうか。 一時のこと、特別な場合として勿論そういうことも起るのは生活の自然だけれども、男女の協力ということは、決して、今・・・ 宮本百合子 「明日をつくる力」
・・・ では、どうして、日本の新聞は、そういう誇るべからざる誇りを、毒々しく報道したりするのでしょうか。日本の若い女性が、心の目を見ひらいて理解しなければならないことがあります。それは、日本のなかには、決してファシズムと軍国主義の思想が根だや・・・ 宮本百合子 「新しい卒業生の皆さんへ」
・・・かかることしたり顔にいい誇るも例の人の癖なるべし。おなじ宿に木村篤迚、今新潟始審裁判所の判事勤むる人あり。臼井六郎が事を詳に知れりとて物語す。面白きふし一ツ二ツかきつくべし。当時秋月には少壮者の結べる隊ありて、勤王党と称し、久留米などの応援・・・ 森鴎外 「みちの記」
・・・この間の応答のありさまについてまたつらつら考えれば年を取ッた方はなかなか経験に誇る体があッて、若いのはすこし謹み深いように見えた。そうでしょう、読者諸君。 その内に日は名残りなくほとんど暮れかかッて来て雲の色も薄暗く、野末もだんだんと霞・・・ 山田美妙 「武蔵野」
・・・余は高貴と若さを誇る汝の肉体に、平民の病いを植えつけてやるであろう。 ルイザはナポレオンに引き摺られてよろめいた。二人の争いは、トルコの香料の匂いを馥郁と撒き散らしながら、寝台の方へ近づいて行った。緞帳が閉められた。ペルシャの鹿の模様は・・・ 横光利一 「ナポレオンと田虫」
出典:青空文庫