・・・ 現在の発明家のねらっている立体映画はいずれもステレオスコピックな効果によるものであるが、誇張されたステレオ効果はかえって非常に非現実的な感じを与えるということは、おもちゃの双眼実体鏡で風景写真をのぞいたり、測遠器で実景を見たりする場合・・・ 寺田寅彦 「映画芸術」
・・・細帯しどけなき寝衣姿の女が、懐紙を口に銜て、例の艶かしい立膝ながらに手水鉢の柄杓から水を汲んで手先を洗っていると、その傍に置いた寝屋の雪洞の光は、この流派の常として極端に陰影の度を誇張した区劃の中に夜の小雨のいと蕭条に海棠の花弁を散す小庭の・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・クは何も郊外の風景その物を写生する目的ではないが、今から五、六十年前 Louis-Philippe 王政時代の巴里の市民が狭苦しい都会の城壁を越えて郊外の森陰を散歩し青草の上で食事をする態をば滑稽なる誇張の筆致を以てその小説中に描いたのであ・・・ 永井荷風 「夏の町」
・・・ことによると人間の弱点だけを綴り合せたように見える作物もできるのみならず往々その弱点がわざとらしく誇張される傾きさえあるが、つまりは普通の人間をただありのままの姿に描くのであるから、道徳に関する方面の行為も疵瑕交出するということは免かれない・・・ 夏目漱石 「文芸と道徳」
・・・人間を塩で食うような彼等も、誇張して無気味がる処女のように、後しざりした。 彼等は、倉庫から、水火夫室へ上った。「ピークは、病人の入る処じゃねえや」「ピークにゃ、船長だけが住めるんだ」 彼等は、足下から湧いて来る、泥のような・・・ 葉山嘉樹 「労働者の居ない船」
・・・ 文人の貧に処るは普通のことにして、彼らがいくばくか誇張的にその貧を文字に綴るもまた普通のことなり。しこうしてその文字の中には胸裏に蟠る不平の反応として厭世的または嘲俗的の語句を見るもまた普通のことなり。これ貧に安んずる者に非ずして貧に・・・ 正岡子規 「曙覧の歌」
・・・溝口氏も、最後を見終った観客が、ただアハハハとおふみの歪め誇張した万歳の顔を笑って「うまいもんだ!」と感歎しただけでは満足しないだけの感覚をもった人であろう。 溝口というひとはこれからも、この作品のような持味をその特色の一つとしてゆく製・・・ 宮本百合子 「「愛怨峡」における映画的表現の問題」
・・・スチルネルが鋭い論理で、独創の議論をしたのとは違って、大抵前人の言った説を誇張したに過ぎない。有名な、占有は盗みだという語なんぞも、プルウドンが生れるより二十年も前に、Brissot が云っている。プルウドンという人は先ず弁論家というべきだ・・・ 森鴎外 「食堂」
・・・ 異才の弟子の能力に高田も謙遜した表情で、誇張を避けようと努めている苦心を梶は感じ、先ずそこに信用が置かれた気持良い一日となって来た。「ときどきはそんな話もなくては困るね。もう悪いことばかりだからなア。たった一日でも良いから、頭の晴・・・ 横光利一 「微笑」
・・・私は時にいくらかの誇張をもって、絶望的な眼を過去に投げ、一体これまでに自分は何を知っていたのだとさえ思う。 たとえば私は affectation のいやなことを昔から感じている。その点では自他の作物に対してかなり神経質であった。特に自分・・・ 和辻哲郎 「生きること作ること」
出典:青空文庫