・・・文学において謙虚にまた強固に自己を大衆のなかなるものとして拡大しておかなかったからである。 私たちは、今度の戦争において、わずか十六七歳の若者が、どんなにして死んでいったかを知っている。どれだけの父親、兄、夫が死んだかそれを知っている。・・・ 宮本百合子 「歌声よ、おこれ」
・・・けれども、人間の歴史の嶮しい波の中での女の生きる姿という広さにおいてみれば、彼女が少女時代から歩んだ道は、彼女自身によっても個人的閲歴の域を溢れた意義をもって見られても、本来の謙虚を傷つけることではなかったろう。キュリー夫人が独特の性格で、・・・ 宮本百合子 「寒の梅」
・・・空は円く高く 地は低く凹凸を持ち人は、頭を程よい空間に保ってはじめて二つの心が、謙虚な霊を貫くのだ。 心自由に 自由に何処までも 行こうとする心。十三の少年のように好奇に満ち、精力に満ち・・・ 宮本百合子 「五月の空」
・・・ 人はよりよきもの、よりよき如何なる些細なものに対しても、無我に謙虚である事はよろしゅうございます。そうでなければなりません。然し、考えなければならない事は、無我の謙虚と云う事と、理智の催眠させられた感情的称嘆とその事との間には大きな差・・・ 宮本百合子 「C先生への手紙」
・・・ 有頂天にならないまでも、又、如何に謙虚に自分の未完成である事にハムブルではあろうとも、その「心のときめき」を、否定し尽す人はないだろう。 下らない賞讚にあって、少し頭に血が上ったのを知ると情けない。 小さい誹謗に、口元を引締め・・・ 宮本百合子 「樹蔭雑記」
・・・何たる沈黙、沈黙を聞取ろうと耳傾ける沈黙――人が、己の愛す風景に向った時、必ず暫くは右のような謙虚な状態に陥るだろう。やがて徐々として確に、感情が目醒め始める、或る時は次第に律動が高まって終には唱わぬ心の音楽ともなろう。 その微かな閃光・・・ 宮本百合子 「透き徹る秋」
・・・外界の刺戟によって発動した自己の感激、意望というものを、一先ず、能う限り公正な謙虚な省察の鉄敷の上にのせ、容赦なく批判の力で鍛えて見る。いよいよこれに動きがないというところで、始めて主張するなら、飽くまでも主張するという、真に人をつくる練磨・・・ 宮本百合子 「われを省みる」
・・・先輩の手法を模倣して年々その画風を変えるごとき不見識に陥らず、謙虚な自然の弟子として着実に努力せられんことを望む。 ――例外の一と二とに現われた二つの道が日本画を救い得るかどうか。それは未来にかかった興味ある問題である。・・・ 和辻哲郎 「院展日本画所感」
・・・何という謙虚な人間の姿だろう。それに比べて私の心持ちは、何という空虚な反撥心にイラ立っているのだ。あたかも自分の上に降りかかった小さな出来事が何か大きい不正ででもあるかのように。――あの人たちを見ろ。静かに運命の前に首を垂れているあの人たち・・・ 和辻哲郎 「停車場で感じたこと」
出典:青空文庫