・・・ 浄瑠璃と草双紙とに最初の文学的熱情を誘い出されたわれわれには、曲輪外のさびしい町と田圃の景色とが、いかに豊富なる魅力を示したであろう。 その頃、見返柳の立っていた大門外の堤に佇立んで、東の方を見渡すと、地方今戸町の低い人家の屋根を・・・ 永井荷風 「里の今昔」
・・・こういう両面を持っているのではありますけれども、先ず今日までの改正とか改革とか刷新とか名のつくものは、そういうような意味で、知識なり感情なり経験なりを豊富にされる土台は、インデペンデントな人が出て来なければ出来ない事である。もしそれが出来な・・・ 夏目漱石 「模倣と独立」
・・・書架は豊富である。Bibelots と云う名の附いている小さい装飾品に、硝子鐘が被せてある。物を書く卓の上には、貴重な文房具が置いてある。主人ピエエルが現代に始めて出来た精神的貴族社会の一員であると云うことは、この周囲を見て察せられる。ある・・・ 著:プレヴォーマルセル 訳:森鴎外 「田舎」
・・・曙覧の歌想豊富なるは単調なる『万葉』の及ぶところにあらず。〔『日本』明治三十二年四月九日〕 世に『万葉』を模せんとする者あり、『万葉』に用いし語の外は新らしき語を用いず、『万葉』にありふれたる趣のほかは新しき趣を求めず、かくのごとく・・・ 正岡子規 「曙覧の歌」
・・・従って、部分部分の雰囲気は画面に濃く、且つ豊富なのであるが、この作の総体を一貫して迫って来る或る後味とでも云うべきものが、案外弱いのは何故だろう。私は、部分部分の描写の熱中が、全巻をひっくるめての総合的な調子の響を区切ってしまっていると感じ・・・ 宮本百合子 「「愛怨峡」における映画的表現の問題」
・・・確かに重大な、人間の霊肉を根本から震盪するものではあっても、人間の裡にある生活力は多くの場合その恋愛のために燃えつきるようなことはなく、却って酵母としてそれを暖め反芻し、個人の生活全般を豊富にする養液にしてしまいます。 また恋愛は、独特・・・ 宮本百合子 「愛は神秘な修道場」
・・・ヘルマン・バアルが旧い文芸の覗い処としている、急劇で、豊富で、変化のある行為の緊張なんというものと、差別はないではないか。そんなものの上に限って成り立つというのが、木村には分からないのである。 木村はさ程自信の強い男でもないが、その分か・・・ 森鴎外 「あそび」
・・・ 五 ここの花園の中では、新鮮な空気と日光と愛と豊富な食物と安眠とが最も必要とされていた。ここでは夜と雲とが現われない限り、病舎に影を投げかけるものは屋根だけだった。食物は海と山との調味豊かな品々が時に従って華や・・・ 横光利一 「花園の思想」
・・・そうして大きい、よく組織された国家の、すみずみまで行き届いた秩序があり、権力の強い支配者があり、豊富な産業がある。骨までも文化が徹っている。東海岸の国土、たとえばモザンビクの海岸においても状態は同じであった。 十五世紀から十七世紀へかけ・・・ 和辻哲郎 「アフリカの文化」
・・・短い描写が驚くべき豊富な人生を示唆する。 ところで自分はどうであろう。強調すべき点は気が済むまでも詳しく書こうとする。そのために空虚な語のはいって来ることには気づかない。従って多くを示唆する少ない語の代わりに、少なくを説明しようとする多・・・ 和辻哲郎 「生きること作ること」
出典:青空文庫