・・・尤も長崎から上方に来たのはかなり古い時代で、西鶴の作にも軽焼の名が見えるから天和貞享頃には最う上方人に賞翫されていたものと見える。江戸に渡ったのはいつ頃か知らぬが、享保板の『続江戸砂子』に軽焼屋として浅草誓願寺前茗荷屋九兵衛の名が見える。み・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・その頃偶っと或る会で落合った時、あたかも私が手に入れた貞享の江戸図の咄をすると、そんな珍本は集めないよ、僕のは安い本ばかりだと、暗に珍本無用論を臭わした。が、その口の端から渋江抽斎の写した古い武鑑が手に入ったといって歓喜と得意の色を漲らした・・・ 内田魯庵 「鴎外博士の追憶」
・・・俳句の句法は貞享、元禄に定まりて享保、宝暦を経て少しも動かず。むしろ元禄に変化したるだけの変化さえ失い、「何や」「何かな」一天張りのきわめて単調なるものとなり了りて、ただ時に檀林一派及び鬼貫らの奇を弄するあるのみ。この際に当りて蕪村は句法の・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・大嘗会というのは、貞享四年に東山天皇の盛儀があってから、桂屋太郎兵衛の事を書いた高札の立った元文三年十一月二十三日の直前、同じ月の十九日に五十一年目に、桜町天皇が挙行したもうまで、中絶していたのである。・・・ 森鴎外 「最後の一句」
出典:青空文庫