・・・……貴殿はいい月日の下に生れたな、と言わねばならぬように思う。あるいは一度新橋からお酌で出たのが、都合で、梅水にかわったともいうが、いまにおいては審でない。ただ不思議なのは、さばかりの容色で、その年まで、いまだ浮気、あらわに言えば、旦那があ・・・ 泉鏡花 「燈明之巻」
・・・ 早速丹造は返事を出して曰く、――御申込みにより、貴殿を川那子商会支店長に任命する。ついては身元保証金として、金六百円を納められたい。――活版刷りの美麗な辞令だった。 そして、待機していると、世間は広いものだ。一生妻子を養うことが出・・・ 織田作之助 「勧善懲悪」
・・・「臙脂屋を捻り潰しなさらねばなりますまいがノ。貴殿の御存じ寄り通りになるものとのみ、それがしを御見積りは御無体でござる。」「ム」「申した通り、此事は此事、左京一分の事。我等一党の事とは別の事にござる。」「と云わるるは。扨は何・・・ 幸田露伴 「雪たたき」
・・・小生、日本人ノウチデ、宗教家トシテハ内村鑑三氏、芸術家トシテハ岡倉天心氏、教育家トシテハ井上哲次郎氏、以上三氏ノ他ノ文章ハ、文章ニ似テ文章ニアラザルモノトシテ、モッパラ洋書ニ親シミツツアルモ、最近、貴殿ノ文章発見シ、世界ニ類ナキ銀鱗躍動、マ・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・卒然としてその奥義を察知するにいたり、このよろこびをわれ一人の胸底に秘するも益なく惜しき事に御座候えば、明後日午後二時を期して老生日頃昵懇の若き朋友二、三人を招待仕り、ささやかなる茶会を開催致したく、貴殿も万障繰合せ御出席然るべく無理にもお・・・ 太宰治 「不審庵」
・・・作家殿、貴殿は一人の読者に千度読まれるのと、十万の読者に一度読まれるのと、いったい、いずれをお望みかな? とおたずねすると、かの文筆の士なるものは、十万の読者に千度読まれとうござる、と答えてきょろりとしていらっしゃる。おやりなさい、大いにお・・・ 太宰治 「渡り鳥」
・・・それを第三者が批評して「貴殿広き世界を三百石の屋敷のうちに見らるゝ故なり。山海万里のうちに異風なる生類の有まじき事に非ず」と云ったとしてある。その他にも『永代蔵』には「一生秤の皿の中をまはり広き世界をしらぬ人こそ口惜けれ」とか「世界の広き事・・・ 寺田寅彦 「西鶴と科学」
・・・ 権兵衛が詰衆に尋ねられて答えたところはこうである。貴殿らはそれがしを乱心者のように思われるであろうが、全くさようなわけではない。父弥一右衛門は一生瑕瑾のない御奉公をいたしたればこそ、故殿様のお許しを得ずに切腹しても、殉死者の列に加えら・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・や、茶儀は無用の虚礼なりと申さば、国家の大礼、先祖の祭祀も総て虚礼なるべし、我等この度仰を受けたるは茶事に御用に立つべき珍らしき品を求むる外他事なし、これが主命なれば、身命に懸けても果さでは相成らず、貴殿が香木に大金を出す事不相応なりと思さ・・・ 森鴎外 「興津弥五右衛門の遺書」
・・・、茶儀は無用の虚礼なりと申さば、国家の大礼、先祖の祭祀も総て虚礼なるべし、我等この度仰を受けたるは茶事に御用に立つべき珍らしき品を求むる外他事なし、これが主命なれば、身命に懸けても果たさでは相成らず、貴殿が香木に大金を出す事不相応なりと思さ・・・ 森鴎外 「興津弥五右衛門の遺書(初稿)」
出典:青空文庫