・・・洋一は兄と買物をしに、わざわざ銀座まで出かけて行った。「当分大時計とも絶縁だな。」 兄は尾張町の角へ出ると、半ば独り言のようにこう云った。「だから一高へはいりゃ好いのに。」「一高へなんぞちっともはいりたくはない。」「負惜・・・ 芥川竜之介 「お律と子等と」
・・・それから食膳の豊かすぎることを内儀さんに注意し、山に来たら山の産物が何よりも甘いのだから、明日からは必ず町で買物などはしないようにと言い聞かせた。内儀さんはほとほと気息づまるように見えた。 食事が済むと煙草を燻らす暇もなく、父は監督に帳・・・ 有島武郎 「親子」
・・・「女中さんは買物に、お汁の実を仕入れるのですって。それから私がお道楽、翌日は田舎料理を達引こうと思って、ついでにその分も。」「じゃ階下は寂しいや、お話しなさい。」 お民はそのまま、すらりと敷居へ、後手を弱腰に、引っかけの端をぎゅ・・・ 泉鏡花 「女客」
・・・きっと何だろう、店先へ買物にでも来たような風をして、親方の気のつかねえように、何かボソボソお上さんと内密話をしちゃ、帰って行くんだろう。なあ、どうだ三公、当ったろう?」 小僧は怪訝な顔をして、「俺はそんなとこを見たことはねえよ。だって、・・・ 小栗風葉 「深川女房」
・・・そして、売店で買物をしていた女の方に向って、「糸枝!」 と、名をよんだ。「はい」 女が来ると、「もう直き、汽車が来るよって、いまのうち挨拶させて貰い」「はい」 女はいきなりショールをとって、長ったらしい挨拶を私に・・・ 織田作之助 「秋深き」
・・・ 浜子は世帯持ちは下手ではなかったが、買物好きの昔の癖は抜けきれず、おまけに継子の私が戻ってみれば、明日からの近所の思惑も慮っておかねばならないし、頼みもせぬのに世話を焼きたがるおきみ婆さんの口も怖いと、生みの母親もかなわぬ気のよさを見・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・ 姑の貌は強い感動を抑えていた。行一は「よしよし、よしよし」膨らんで来る胸をそんな思いで緊めつけた。「そいじゃ、先へ帰ります」 買物があるという姑を八百屋の店に残して、彼は暗い星の冴えた小路へ急ぎ足で入った。・・・ 梶井基次郎 「雪後」
・・・マントの下に買物の包みを抱えて少し膨れた自分の影を両側の街燈が次には交互にそれを映し出した。後ろから起って来て前へ廻り、伸びて行って家の戸へ頭がひょっくり擡ったりする。慌しい影の変化を追っているうちに自分の眼はそのなかでもちっとも変化しない・・・ 梶井基次郎 「泥濘」
・・・Aはその人達をおいて買物に出ていました。その日も私は気持がまるでふさいでいました。その話をききながらひとりぼっちの気持で黙り込んでいました。するとそのうちに何かのきっかけで「Aの気持もよくわかっていると云うのならなぜ此方を骨折ろうとしないん・・・ 梶井基次郎 「橡の花」
・・・この四郎さんは私と仲よしで、近いうちに裏の田んぼで雁をつる約束がしてあったのです、ところがその晩、おッ母アと樋口は某坂の町に買い物があるとて出てゆき、政法の二人は校堂でやる生徒仲間の演説会にゆき、木村は祈祷会にゆき、家に残ったのは、下女代わ・・・ 国木田独歩 「あの時分」
出典:青空文庫