・・・一人の年老った寡婦がせっせと針仕事をしているだろう、あの人はたよりのない身で毎日ほねをおって賃仕事をしているのだがたのむ人が少いので時々は御飯も食べないでいるのがここから見える。私はそれがかわいそうでならないから何かやって助けてやろうと思う・・・ 有島武郎 「燕と王子」
・・・維新の際南部藩が朝敵にまわったため、母は十二、三から流離の苦を嘗めて、結婚前には東京でお針の賃仕事をしていたということである。こうして若い時から世の辛酸を嘗めつくしたためか、母の気性には濶達な方面とともに、人を呑んでかかるような鋭い所がある・・・ 有島武郎 「私の父と母」
・・・……妻のお里はすこやかに、夫の手助け賃仕事…… とやりはじめ、唄でお山へのぼる時分に、おでん屋へ、酒の継足しに出た、というが、二人とも炬燵の谷へ落込んで、朝まで寝た。――この挿話に用があるのは、翌朝かえりがけのお妻の態度である。・・・ 泉鏡花 「開扉一妖帖」
・・・あの方、それは、おくらしに賃仕事をなすったでしょう。けれど、もと、千五百石のお邸の女じょうろうさん。」「おお、ざっとお姫様だ。ああ、惜しい事をした。あの晩一緒に死んでおけば、今頃はうまれかわって、小いろの一つも持った果報な男になったろう・・・ 泉鏡花 「縷紅新草」
・・・仕立物の賃仕事に追われていたことが悲しいまでにわかり、思いがけなく豹一は涙を落したが、なぜかその目のふちの黝さを見て、安二郎を恨む気持が出た。安二郎はもう五十になっていたが、醜く肥満して、ぎらぎら油ぎっていた。相変らず、蓄財に余念がなかった・・・ 織田作之助 「雨」
・・・朝、昼、晩の三部教授の受持の時間をすっかり済ませて、古雑布のようにみすぼらしいアパートに戻って来ると、喜美子は古綿を千切って捨てたようにくたくたに疲れていたが、それでも夜更くまで洋裁の仕立の賃仕事をした。月に三度の公休日にも映画ひとつ見よう・・・ 織田作之助 「旅への誘い」
・・・一太一人ではない、母親が賃仕事をしている。一太は坐って隣室との境の唐紙にぶつかると叱られるから、大抵寝転った。頭を母の方に向け、両脚を、竹格子の窓に突出した。屋根がトタンだから、風が吹いて雨が靡くとバラバラ、小豆を撒くような音がした。さもな・・・ 宮本百合子 「一太と母」
・・・ かなり困った生活をして居るのに、士族の女房が賃仕事なんかする奴があるかと云って栄蔵は、絶対に内職と云うものをさせないので、留守の間にと、近所の者達のところから一二枚ずつ、「一人で居るので、あんまり所在ないから。と云って・・・ 宮本百合子 「栄蔵の死」
・・・昔の婆やが酒屋の裏にスダレを下げて賃仕事をしている、そこに一日いたこともある。一葉だの、ワイルドだのの影響があった。母が或る時土産に二冊本をくれた。アラン・ポウの傑作集だった。以来、時々これで本をお買いと一円か二円くれた。女学校・・・ 宮本百合子 「年譜」
出典:青空文庫